きいと
☆ [4] 送られた先は、ハワイやブラジル、アメリカ,満州などであった。とあるが、次は満州へ
の移民の都道府県別出身者数を示したものである。 ⅡIのグラフは,世界恐慌後の日本の米の生産価
格、農家の所得,まゆの生産価格,生糸の輸出額を示したものである。 ⅢIの文章は,このころの日
本の様子についてまとめたものである。 I~ⅢIの資料を活用して、満州への移民が多かったのはど
のような地域だったか, 簡単に述べよ。
Ⅰ 移民の総数: 計321,882人
かいたくだん
開拓団員:計220,255人
ぎゅうぐん
義勇軍隊員:計101,627人
od 4
4
県別の「満州」移民者数
(開拓団と義勇団をふくむ)
120,000人以上
110,000~20,000人
15,000~10,000人
12,500~5,000人
■1~2,500人未満
II
130
100
50
1929年100とした場合
生糸の輸出額のみ)
\1928年 100
米の
生産価格
まゆの
生産価格
農家の
所得
生糸の
輸出額
0
L
1929 30 31 32 33 34 35年
(「近現代日本経済史要覧」より作成)
ようさん
○長野県は、養蚕農家や製糸工場が多かった。
○生糸の輸出は、大部分がアメリカ向けだった。
○1931年と1934年には大凶作があり, 1930年は豊作により米の価格が暴落した。