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このグラフどうやって点とるんですか? グラフの点は、いくつなのか教えて欲しいです‼️ 明日までなんです(◉☗◉💧)至急です!!!!お願いします

運動エネルギ 増加する。 小塚が0点に達したときには,小球は運動エネルギーだけをもっている。 小球がM点に達したとき、小球の位 置エネルギーが小球の運動エネルギーの3倍であったとすると, M点での小球の運動エネルギーは, 0点に達したときの小球の運動エネル ギーの何倍であると考えられるか。 0.3秒間に進んだ距離は, K-N点間の距離に等しい。 (4) 図の装置を用いて, はじめに小球を置く斜面上の位置だけをK点より低い位置に変えて、同じように実験したところ、小球は、手を離れ てから0.3秒後に0点に達した。 このとき, はじめに小球を置いた位置はK点から斜面にそって下向きに何cmの位置であったと考えられ るか。 (1) 0.80m/s (2) ① イ 力 地震のゆれの伝わり方 5 地点 表は、地下の浅い場所で発生した地震に ついて,地点A, B, CにP波とS波が到達 した時刻を,それぞれまとめたものである。 A B 震源では, P波とS波が同時に発生しており, C それぞれ一定の速さで岩石の中を伝わったものとする。 (1) 震源で岩石が破壊された時刻は何時何分何秒か。 (2) 震源からの距離と、 初期微動継続時間の関係を表すグラフを, 図1にかきなさい。 S波とP波の到達時刻の差 P波を検知 緊急地震速報を発表 (3)図2は,緊急地震速報の流れを示したものである。 緊急地震速報とは、 先に伝わるP波を検知して, 主要動を 伝える波であるS波が伝わってくる前に, 危険が迫ってくることを知らせるシステムである。 震源からの距離 が32kmの地点にある地震計でP波を検知して, その3.4秒後に緊急地震速報が発表された。 緊急地震速報が出 されたときに, 主要動が到達しているのは震源から何kmまでの地点か, 求めなさい。 ただし, 答えは, 小数第1位を四捨五入して求めな 15時12分17秒 (2) 図1に記入せよ。 さい。 P波の速さ 40km/s (1) (3) 30km S波の速さ 42km/s=10km/s 震源からの距離 40km 80km/ 120 km 140km 図2 P波が到達した時刻 S波が到達した時刻 図 1 15時12分24秒 15時12分29秒 15時12分31秒 15時12分38秒 (3) 0.25倍 (4) 14.0cm 《採点基準》(2)は完答。 (宮崎) (4点×3=12点) 地震発生 * 7秒 地震計 15時12分41秒 | 15時12分53秒 気象庁 12秒 仕事 16 力がする仕事について,次の ①~③の実験を行った。 図 1 ① 図1のように, ばねばかりに滑車の一方のフックをかけ,もう一方のフックにおもりをかけた。その後, 8秒かけて, おもりと滑車をゆっくりと一定の速さで,真上に0.3mまで持ち上げた。 その間のばねばか りの値は4Nであった。 ② ①の後, ばねばかりにおもりと滑車をかけたまま、ゆっくりと一定の速さで水平に0.2m移動させた。 図2のように,おもりをかけた滑車に軽い糸を通し,糸の一端をスタンドに固定し,もう一端をばねば かりにとりつけ, 滑車の両端の糸がともに水平面に対し (3 秒 初期微動継続時間秒 20 16 12 8 4 0+ 0 40 80 _120 震源からの距離 [km] (佐賀) (4点×5=20点) ばねばかり 滑車 おもり ひ 0.3m

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1929年に始まった世界恐慌を乗り切るため「持てる国」、アメリカと「持たざる国」ドイツはそれぞれどのような政策を遂行したか1933年から36年までの時期を中心に400字以内で論述せよ。 という問題なのですが分かる方教えて下さると幸いです!

編集権限をリクエスト 有 ファイル 編集 表示 ツール ヘル チャート A 前史 日本の非軍事化 民主化の方針 B 冷戦 対日占領制政策の変更3D再軍備 独立=対日平和条約 (単独講和) 十安保=対米追随·アメリカの極東戦略に組み込まれる x冷戦 の米ソ2大国の圧倒的優位 断国家の存在、 この2点を捉える 1946年のチャーチル英前首相の 「鉄のカーテン演説」を機に冷戦は表面化する が、アメリカ軍の日本単独占領強行でも分かるように、 戦争末期には米ソ対立は 「臨界点」直前まで達していた。 日本に対しては、 48年以降の 「逆コース」として 顕在化する。 1952年4月28日は、 対日講和条約が発効した、 日本 「独立」 の日だが、 沖縄 の米軍統治が国際法上で確立した日でもある。 沖縄を分割し米軍に提供するとい う、以降の日本外交の方向性を決定した。アメリカが対日講和を決意する背景とし て朝鮮戦争は絶対に欠くことはできない。 この条約と同日に調印されたのが日米安 全保障条約である。 (西側諸国とだけの単独講和)安保の片務性(在日米軍の日本 防衛の義務は規定されず、 一方で日本全土の基地貸与が規定されていて条約の期限も 規定されていない)や「極東条項」 (米軍は極東の安全に寄与するために日本に駐 留する)はアメリカの極東戦略の最前線基地としての役割を日本が担うという枠組 みの中での、講和軍事同盟であることを示している。再軍備が盛り込まれたこと も忘れてはならない。 の米ソ2大国を軸にブロックを形成+ドイツ、 朝鮮など分 C 雪解け·平和共存+第三世界の登場 自主外交=日ソ共同宣言-国連加盟=国際社会への復帰実現 D 再緊張·多極化(米中対立+中ソ対立) 安保改定=双務化と極東条項 E キューバ危機 デタント·アジアでは冷戦が継続 ベトナム戦争 北爆開始=Dベトナム戦争への本格的介入開始 アメリカの経済的疲弊 ト 日韓基本条約=日韓国交樹立 -アメリカ、 対韓援助の肩代わり F 日米関係の緊密化 日米共同声明(68年佐藤内閣) 安保堅持と極東の平和が日本の平和と緊密に関 係することの確認。これを前提に小笠原沖縄返還を確認 G アメリカの極東戦略の変更%3D米中国交樹立 日中共同声明(72年)日本もアメリカに続く 日中平和友好条約 (78年) 採点基準 冷戦と、朝鮮戦争勃発を受けての講和 ②講和とセットで、安保条約によりアメリカ極東戦略に組み込まれたこと 3平和共存期に入り、国連加盟を実現 ①再緊張の時期に安保の改定が行われ、 双務的内容になったものの対米従属性を強めた 5日韓基本条約を、対韓国援助の肩代わりを文脈で説明 6安保体制維持の合意の見返りとして沖縄返還実現 ⑦アメリカ極東戦略の転換と、 遅れての日中国交回復と平和条約締結

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