E₁
を持ったの
MEAND
検地と刀狩
らがつ
豊臣秀吉は, それまで地域によ
たいこうけんち
いたものさしやますを統一し、太閤検地
行い、全国の田畑の面積や土地のよしあしを調べ, 予想される
0~0
こくだか
穫量を,全て米の体積である石高で表しました。この政策によ
て、全国の土地が石高という統一的な基準で表されるようになり
ました。
とを
安全
どに
1
万
ぐんやく
都
た軍役を果たすことが義務付けられました。 また, それまで自分
10 1
ねんぐ
ちょうしゅう
武士の領地は石高で示され、年貢を徴収する一方, 石高に応じ
➡p.67
海外
ちょうせん
朝鮮ー
だいみょう
じょう かまち
の領地にいた武士は,大名の城下町に集められました。 秀吉は,
公家や寺社などの荘園領主や有力な農民がそれぞれ持っていた土
➡p.85
地の複雑な権利を否定し、検地帳に登録された農民だけに土地の
所有権を認め, 耕作をやめて土地をはなれることを禁止しました。
また, 武力による一揆を防ぐ
いつ
にちか