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現代語訳をして頂けませんか🙇‍♀️💦

三次の古文を読んで、あとの〜内に答えなさい。 あたひ 「牛を売る者あり。買ふ人、明日その値をやりて、牛を取らんといふ。 夜の間に、牛死ぬ。買はんとする人に利あり、 売らんとする人に損あり」と語る人あり。 ゆゑ まこと これを聞きて、かたへなる者の言はく、「牛の主、誠に損ありといへども、又大きなる利あり。 その故は生あるもの、 死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。 人、又おなじ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。 一日 みな がもう かろ の命、万金よりも重し。牛の値、鶏毛よりも軽し。 万金を得て一銭を失はん人、損ありといふべからず」と言ふに、皆 ひとあざけ ことわり 人嘲り、「その理は牛の主に限るべからず」と言ふ。 たから 又言はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しび を忘れていたかはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危ふく他の財をむさぼるには、志、満つ事なし。 生け る間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。 死を恐れざるにはあらず、 事を忘るるなり。もし又、生死の相にあつからずといはば、実の理を得たりといふべし」 と言ふに、いよいよ嘲る。 まこと (兼好法師『徒然草』から) (注) かたくなる者=そばにいた人。 鶏毛=ガチョウの羽根。 牛、既にしかなり=牛がそのとおりである。 いたづかはしく苦労をして。 はからざるに思いがけず。 外の楽しび名誉や金銭に対する欲求。 実の理を得たり=真理を悟っている。 生死の相=仏教用語で、生死の境地。 しやうじ

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光村図書中3の論語です。 教科書下にかいてある意味を踏まえて訳してみたらなんだか教科書ワークにかいてある名言をまとめた表みたいなのと違っていました。全部で四つのまとまりがありますがまとまりごとになっているはずなのに文の内容が同じでないもの、特に二つ目がそう思います。どうやっ... 続きを読む

於 人 い Q( ) に合うのはどっち? 日直を(交換 交代)する。 「Gilio」 人次の漢文(訓読文) を書き下し文に直した 〇自分自身で学ぶことや友と学問について語 り合うことには喜びがあり、学問には自分の一 )を高めるという意義がある。 学びて時に…… 故きを温めて新〇過去の事柄や学説を繰り返し研究して、そ こから新しい(@ 人の師となる資格がある。 しきを知れば )を発見できれば、 )ことと考えることはどちらも 重要であり、どちらが欠けてもいけない。 学びて思はざれ 人の直し方 従って読んだ順に書く -は、歴史的仮名遣いのままで平仮名に直す。 ような助動詞は平仮名に直す。 「英」のような読まない字(置き字)は、書き下し文に い。 6 之を知る者は、 之を好む者に如 〇物事には知る·好む·楽しむという段階が あり、(@ )ことが最上である。 かず。 「於」は、「置き字」だから、 書き下し文には書かないよ。 意義 楽しむ 人格 州題)子は、[ ア 韓国 中国 ]古代の思想家で、人格や[ア 知識 ィ 道徳 ]を高めることで世を治

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中2の文章問題です。 誰か答えを教えて下さい!(2)〜(6)

第1章 説明的文章国 12 のがいちばん経済的てあることは、すぐにわかるであろう。 第一に、自分がなにを信じている(いない)のか、それがきわめてわか 必要がない。第一三に、仮になにかを信じたときに起こりうる、「だまされ 8 た」という問題を避けることがてきる。信じなきゃ、だまされない。 宗教について尋ねられると、日本人はしばしば自分は「無宗教」だと述 べる。相手が外国人でもなければ、ふだんそんなことを訊かれることはな い。それを訊かれて、あらためて考えてみると、 「ハテ、俺の宗旨旨はなんだったっけ」 基本問題, りやすい。第二に、どういう教義内容を信じたらいいのか、それを考える 想 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 、なぜ日本人は「自分には思想はない」と思いたがるのか。 一つには、それが謙虚な態度に見えるからてあろう。世間て生きていく には、謙虚に見えることは、処世術として大切なことである。 「思想なんて、そんなむずかしいもの、私に処理できるはずがないじゃな いてすか。そんな高級なソフトは、私の脳に入っていません」 ということになる。そこでいわば正直に答えようとすると、つい、 「無宗教です」 人によっては、そんなことをいう。 もう一つは、「自分に思想はない」と思ったときから、それ以上、思想 について考える必要がなくなるからてあろう。考えるというのは億劫なも のて、それこそあれこれ考えるくらいなら、「やってしまったほうが早い」。 それだけてはない。論理的にも、「自分には思想がない」という思想は、e もっとも経済的な思想である。なぜなら、そう思ったときには、他の思想 と答えることになる。すると、相手は仰天したりするのである。これだけ まじめそうで、悪いことなんてとうていやリそうもない人が、なんてアン チ·クリストなんだろう。アメリカのファンダメンタリストでなくても、 ふつうのキリスト教の常識人なら、そう思うに違いない。外国の「無宗教」 とは、確信犯としての無宗教、「思想としての無宗教」だからである。 そういうわけて、日本人はたいてい無宗教、無思想、無哲学だと主張す る。それが日本の宗教、日本の思想、日本の哲学てある。私はそう思う。 すてに述べてきたように、これはなかなか合理的な考え方である。宗教、 思想、哲学といった類のものを無理して持たなければ、とくに考える必要 も、具合の悪いところをあえて訂正する必要もない。必要ならなにかの思 想を借りておけばいい。その借り物がとことん具合が悪くなったら、「取 り替えれば済む」。それが明治維新であり、戦後ではないか。 についても、自分の思想についても、もはやその内容を考える必要がなく なるからてある。「ない」ものについて、考えることはてきないてはないか。 日本の場合、信仰もこれと同じてある。世界にはさまざまな宗教がある。 しかしほとんどの日本人は特定の宗教の信者ではない。なぜかというと、s 「困ったときの神頼み」て、都合によりどの神仏を信じてもいいからてあ る。ということは、要するにどれも信じていないから、ということもてき る。具体的にいうなら、「特定の宗教を信じない」という態度を採用する。 そういう態度をとれば、どの宗教にも深人りしないて済む。「なにかを信 じる」なら、 Tなにも信じないことを信じる」 (注) ファンダメンタリスト= 聖書の記述を固く信じている人。 《養老子孟司「無思想の発見」より) 理由> 線の「なぜ日本人は「自分には思想は、 るのか。」と土

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