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国語 中学生

至急です❕ かっこのイ、ウ、エ教えてください🙏

間6「枕草子」の本文を読んで、あとの問いに答えなさい。【思・判・表1】 A 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなび きたる。 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、 ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端 いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ 四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。 まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見 ゆるはいとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、また。さらでもい ときに、火などいそぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。 昼になりて、"ぬるくゆる びもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。 日 正月一日、三月三日は、いとうららかなる。五月五日は、くもりくらしたる。七月七日は、くも りくらして、夕がたは晴れた空に、月いとあかく、星の数もみえたる。 九月九日は、「あかつき がたよりすこしふりて、菊の露も こちたく、 おほひたる綿などもいたくぬれ、 うつし の香ももてはやされて、つとめてはやみにたれど、なほくもりて、ややもせばふりおちぬべく みえたるもをかし。 *2 当時九月九日の前日に歯にかぶせておき、九日に鑑でぬれた綿で身をぬぐう習慣があった。 *3 綿に移った香りも格別に引き立って *4 ともすれば。どうかすると。 (ア) Aより、一線1 「いと近うなりたる」とありますが、「何」が「何」に近づいているのか、 本 女から抜き出して答えなさい。 (イ)Aより、一線2 「さらでも」は「そうでなくても」という意味ですが、「そうでなくても」の 内容を簡潔に説明しなさい。 (ウ)より、一線3「ぬるくゆるびもていけば」とありますが、「ぬるくゆるびもていくものは 何か答えなさい。 (エ) Bより、一線1「月いとあかく」の現代訳を答えなさい。 本日より、九月九日の雨は、(i)いつ頃降り出して、(1) いつ頃やみましたか。 本文から抜き出して答えなさい。 Bより、一線2「をかし」とありますが、九月九日の趣のある情景として述べたものとして最 も適切ではないものを一つ選び、その番号を答えなさい。 星が数えられるほど出ていること 菊がしっとりと濡れている様 2 今にも雨 *1 ひどく 夕日が 山の端に近づいている

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国語 中学生

至急です!! 答え合わせをしたいので教えて頂きたいです お願いします🙇‍♀️

(5点) 「の」の識別 次の文中の|線の「の」と同じ意味,用法のものをあとから 一つ選び、記号で答えなさい ぼくのは机の中にしまったよ 彼の責任はまぬがれない 彼の作った歌が歌われる この改革案は彼の提案だ。 この黒いコートは彼のだ。 ヒント 体言のかわりに使われているのは……。 問題 の基本問題 と同じレベル の問題だから自信をもって解こう! 「ない」の識別 (5点) 次の文中の -線の「ない」と文法上同じ性質の「ない」を含 む一文を選び、記号で答えなさい。 食器を割らないように注意する。 OMミ捨て場がとてもきたない 原案への反対者も少なくない。 2 へ 33 早朝の町にはだれもいない。 そのアドバイスは適切でない。 (5点1各1点) 「に」の識別 次の文中の||線「に」は、あとのア~オのどれですか。適切 なものを一つずつ選び、記号で答えなさい。 軽率に答えを出そうとしてはいけない わかり合える友人に悩みを打ち明ける。 小鳥は空にはばたく あまりの幸せに我を忘れる。 彼は苦しいのに笑うことができる。 ァ 相手を示す格助詞 ウ 原因を示す格助詞 オ形容動詞の活用語尾 ヒント 助動詞は「ぬ」と言いかえられる。 また」の識別 (5E) 次の各文中の|線の「また」のうち、一つだけほかとは異な る品詞のものがあります。記号で答えなさい。 この海辺の町にまた来ることはないだろう。 山また山をぬうように道が作られた。 農業もまた漁業もこの村には必要だった。 海辺の人々に、また、この景色に別れを告げた。 (5 ィ 場所を示す格助詞」 H 接続助詞の一部 ヒント 副詞はどれ? ヒント「な」と言いかえられるのは……。

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国語 中学生

この評論文についてです。 傍線部(3)「静かにその名前を呼ぶ心」とは、具体的にどのようなことを指しているか。本文中の語句を用いて、十字以内で答えなさい。 という問いがあります。 模範解答は、「自然を玩味すること。」ですが、私の回答は「自然に対する謙虚さ。」です。 ○、△、×... 続きを読む

急速な工業化によって、日本の自然が事実として乏しくなったという意見があるが、私 はこういう俗説を信じない。むしろ国民ひとりひとりの立場から見れば、ヨカも交通手段 も豊かになって、自然に触れあう機会は飛躍的に増大したはずである。加賀千代女が北海 道旅行をしたという話は聞かないし、芭蕉が一生に歩いた道よりも、現代の学生が夏休み rG f ば しょう にドライヴする距離の方が大きいことはわかりきっている。ただ、われわれはつるべに咲 5 いた一輪の朝顔を見ず、枯れ枝にとまった一羽のカラスに注意を向けないというだけのこ とであろう。見なれた植物の名をあらためて口にのぼせ、たがいにうなずきあう習慣が少 なくなったというだけのことなのである。 がん み 自然を玩味する文章は少なくなったが、それとはうらはらに、自然をむしり取る所有欲 はますます増大するチョウコウがあるという。高山植物の花畑に自動車道路が延び、若い 10 ハイカーたちが遠慮なく草の根をひき抜いて行くらしい。そこにはたぶん恐るべき流離感 があって、現代人は自然を暴力的に所有したいという衝動に駆り立てられているのであろ う。自然にたいする人間の優越性をあまりにも過信して、自分が自然に所有され、自然に 帰属しているという謙虚さを見失った結果なのである。自然を自分の手のとどかない距離 まつ に配って、静かにその名前を呼ぶ心の技術を失った結果だといえる。こういう心の風潮の 5 もとでは、公園や街路樹の増設を要求する声があっても、私はそれを信じる気持ちになれ ない。政治的な言葉で修飾されてはいるが、それもまた自然にたいする所有欲の現れにす ぎないような気がするからである。

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