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大門4の問1を教えておしいです。(写真順番は画像のしたの真ん中にあるページどおりです。)

4 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。(*印の付いている言葉に は、本文のあとに [注] がある。) あなたは、誰かと対話をした経験があるだろうか。 会話ではなく、対話 である。(第一段) よほど特別の事情がない限り、私たちは日常的に会話をしている。 駅の キヨスクでチョコレートパーを買い、会社の守衛さんに挨拶し、職場で同 と打ち合わせをして、昼食時にショートメールで遠方の友人と近況を伝 えあい、帰宅して家族と今日のニュースについて話し合う。このどの場面 でも、私たちは会話をしている。そのいくつかは軽いやり取りであったり、 ただ楽しむためであったりする。他方、仕事の打ち合わせなどはかなり真 剣に、ときに厳しいやり合いをしなければならない。 (第二段) だが、このどれもが会話であっても対話ではない。(第三段) 対話とは、真理を求める会話である。 対話とは、何かの問いに答えよう として、あるいは、自分の考えが正しいのかどうかを知ろうとして、誰か と話し合い、真理を探求する会話のことである。ただ情報を検索すれば得 られる単純な事実ではなく、きちんと検討しなければ得られない真理を得 たいときに、人は対話をする。 それは、自分を変えようとしている人が取 り組むコミュニケーションである。(第四段) ショッピングや仕事でのやり取りは、自分の要望と相手の要望をすり合 わせようとする交渉である。 友人や恋人との会話は、よい関係を保ち、相 手を理解し、互いに話を楽しもうとする交流である。これらの会話は有意 かもしれないが、真理の追求を目的としてはいない。対話は、何かの真 理を得ようとして互いに意見や思考を検討し合うことである。(第五段) 私たちは日常生活の中で、ほとんど対話する機会がないのではないだろ うか。それは、真理の追求が日常生活で行われなくなっているからである。 だが実は、対話をしなければならない場面は、日常生活の中にも、思った よりもたくさんあるのだ。 (第六段) 仕事場でも、ただ当面の与えられた業務をこなすだけではなく、仕事全 体の方向性や意味が問われる場合、たとえば、「良い製品とは何か」「今は どういう時代で、どのような価値を消費者は求めているのか」「環境問題 に対して、我が社は頬かむりをしていていいのか」など真剣に論じるべき テーマは少なくないだろう。 家庭でも、子どもの教育をめぐって、 そもそ も子どもにとっての良い人生とはなにか、そのために何を学んでほしいの 親と子どもとはどういう関係なのか、子離れするとはどういうことか、 これらのことについて家族で話し合う必要はないだろうか。地域でも、ど のような地域を目指せばいいのか、住人はどのような価値を重んじている のか、以前からの住人と新しく来た人たちはどう交流すればよいか。本当 はこうしたことについて膝を突き合わせて対話する必要があるのではない だろうか。(第七段) 人生に関すること、家族と社会に関すること、政治に関すること、地域 での生活のこと、私たちはこれらのことをほとんど対話することなく、 日々を過ごしてしまっている。 そうした難しい議論は頭のいい人たちに任 せて、自分たちはせっせと働き、自分個人の生活だけを楽しめばいいのだ。 かつてはこう考える人たちもいた。しかし、そうした態度はすでに販売を 迎えている。私たちは、公共の問題にもう無関心でいられないし、自分個 人のあり方についても、いろいろな人から意見を聞いて考え直してみたい 1 6 ĭ

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4 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。(*印の付いている言葉に は、本文のあとに [注] がある。) あなたは、誰かと対話をした経験があるだろうか。 会話ではなく、対話 である。(第一段) よほど特別の事情がない限り、私たちは日常的に会話をしている。 駅の キヨスクでチョコレートパーを買い、会社の守衛さんに挨拶し、職場で同 と打ち合わせをして、昼食時にショートメールで遠方の友人と近況を伝 えあい、帰宅して家族と今日のニュースについて話し合う。このどの場面 でも、私たちは会話をしている。そのいくつかは軽いやり取りであったり、 ただ楽しむためであったりする。他方、仕事の打ち合わせなどはかなり真 剣に、ときに厳しいやり合いをしなければならない。 (第二段) だが、このどれもが会話であっても対話ではない。(第三段) 対話とは、真理を求める会話である。 対話とは、何かの問いに答えよう として、あるいは、自分の考えが正しいのかどうかを知ろうとして、誰か と話し合い、真理を探求する会話のことである。ただ情報を検索すれば得 られる単純な事実ではなく、きちんと検討しなければ得られない真理を得 たいときに、人は対話をする。 それは、自分を変えようとしている人が取 り組むコミュニケーションである。(第四段) ショッピングや仕事でのやり取りは、自分の要望と相手の要望をすり合 わせようとする交渉である。 友人や恋人との会話は、よい関係を保ち、相 手を理解し、互いに話を楽しもうとする交流である。これらの会話は有意 かもしれないが、真理の追求を目的としてはいない。対話は、何かの真 理を得ようとして互いに意見や思考を検討し合うことである。(第五段) 私たちは日常生活の中で、ほとんど対話する機会がないのではないだろ うか。それは、真理の追求が日常生活で行われなくなっているからである。 だが実は、対話をしなければならない場面は、日常生活の中にも、思った よりもたくさんあるのだ。 (第六段) 仕事場でも、ただ当面の与えられた業務をこなすだけではなく、仕事全 体の方向性や意味が問われる場合、たとえば、「良い製品とは何か」「今は どういう時代で、どのような価値を消費者は求めているのか」「環境問題 に対して、我が社は頬かむりをしていていいのか」など真剣に論じるべき テーマは少なくないだろう。 家庭でも、子どもの教育をめぐって、 そもそ も子どもにとっての良い人生とはなにか、そのために何を学んでほしいの 親と子どもとはどういう関係なのか、子離れするとはどういうことか、 これらのことについて家族で話し合う必要はないだろうか。地域でも、ど のような地域を目指せばいいのか、住人はどのような価値を重んじている のか、以前からの住人と新しく来た人たちはどう交流すればよいか。本当 はこうしたことについて膝を突き合わせて対話する必要があるのではない だろうか。(第七段) 人生に関すること、家族と社会に関すること、政治に関すること、地域 での生活のこと、私たちはこれらのことをほとんど対話することなく、 日々を過ごしてしまっている。 そうした難しい議論は頭のいい人たちに任 せて、自分たちはせっせと働き、自分個人の生活だけを楽しめばいいのだ。 かつてはこう考える人たちもいた。しかし、そうした態度はすでに販売を 迎えている。私たちは、公共の問題にもう無関心でいられないし、自分個 人のあり方についても、いろいろな人から意見を聞いて考え直してみたい 1 6 ĭ

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私が書いた意見分の訂正をしてほしいです。 優先席は不要であると考えます。なぜなら、優先席があったとしても席を譲る人が少ないからです。これを改善するためには席を譲ることの大切さを発信するべきです。そうすることで、優先席がなくても自発的に席を譲る人が増え、譲り合いの精神が生まれ... 続きを読む

私は、電車やパスなどの優先席は不必要だと思っていま す。それは、優先席であってもなくても、高齢者や身体の一 不自由な人たちに席を譲るのは当たり前のことだからです。 ところが、この当たり前の行為がなかなか実行に移されて いないため、優先席の必要性が議論されています。席を譲一 るというのは、そんなに難しいことなのでしょうか。私にも、 席を譲ることを露露した経験が何度かあります。そのよう な跡踏を感じるきっかけとなったのは、次のようなできご ある日、私は下校の途中でバスの席に座ってうとうとし」 ていました。ふと気がつくと、バスの車内は学生やサラリー一 マンでごった返し、私の目の前には杖をもったおじいさん が立っていました。おじいさんは、身体が不自由なようで、 手を伸ばして吊革につかまることが難しそうでした。混み 合った車内でおじいさんが立ち続けているのは大変だし、 危険でもあると思い、私はとっさに席を立ってそのおじい」 さんに譲ろうとしました。ところが、声をかけた私に対し とでした。 さ ておじいさんは、「年寄り扱いをするな! 不愉快だ!」と 怒鳴りつけたのです。私は、自分の行為がおじいさんを怒」 らせたことが悲しく、また、周りに人が大勢いる中で怒鳴一 られたことに恥ずかしい思いをし、次の停留所までパスの一 席にいたたまれない気持ちで座り続けていました。 席を譲りたい気持ちはあるのにそれを行動に移せない、 という人の中には、私と同じような経験をしたことのある一 人が少なくないのではないでしょうか。席を譲りましょう、 という啓発はもちろん大事だと思います。その一方で、席一 を譲られた側に向かっても、席を譲ってくれた人の気持ち一 を受け取ってあげましょう、などと呼びかけていくことが 大事なのではないでしょうか。人への思いやりや気遣いを一 安心して行動に表せる社会になれば、優先席など必要なく」 J なるのではないかと思います。 3|中学生の早川さんは、学校に行くことが難しくなったときに、 進める手段としての「オンライン授業」に興味を を行いました。これを読んで、あ: 学料3】優先席についてのある中学生の意見文

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Bに当てはまるのがあるいはっておかしくないですか??なんでそうなるのかが理解できません、

一、次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい 「今どきの若い者は」などというと、年寄りの言い分になっ てしまう。でも私も還暦をすでに過ぎたから、そろそろOそれ をいってもいい歳になったのではないかと思う。 その今どきの若い者だが、@私の年代とどこがいちばん違う だろうか。もちろん平均身長からはじまって、さまざまな面に 違いがあるはずだが、ここで問題にしたいのは、脳のことであ Q° 私が子どもの頃には、当たり前だが、テレビ放送はなかった。 今はそれがある。現代の子どもたちは、毎日どのくらい、テレ ビを見ているのだろうか。 これについてはたくさんの調査があって、じつはその結果が いろいろである。だから正確なところは不明だが、ともかくそ うしたデータによると、どうも一日に三時間や四時間くらいけ テレビを見ているらしい。それだけテレビを見ていれば、脳に なにか影響があって当然であろう。その影響はもちろん、私C 世代の脳にはなかった影響である。 その結果、はたしてなにが起こるだろうか。 (仮想現実という表現がある。テレビの世界は、仮想現実の世 界だというわけである。今の子どもたちは、実際の世界ではな く、仮想現実のほうに長く浸かっている。そう考える人もあ うかと思う。 私はもう少し A に考える。仮想現実というむずかしいこ とばを使う必要はない。@テレビと現実がいちばん違うとこる ばどこか。テレビのなかの夫婦喧嘩から、茶碗や皿が子どもに 向かって飛んでくることはない。 B ドラマのなかで、主人公が知らずに危険に近づいていイ 子どもがその主人公に向かって「あぶないよ」といくら叫んで も、残念ながら、テレビ画面のなかの主人公には聞こえない。 テレビの世界が現実の世界といちばん違うのは、そこであこ n° テレビの世界とは、子どもにとってほとんど現実- のだが、実際の世界とのいちばんの相違は、テレビのなかの= 界の動きは、子ども自体の行動にいっさい関わりがないとい。 ことなのである。 そういう世界に長く子どもが浸かっていると、なにが起こ: る。 実際の世界をテレビの世界のように見る技術が、上手に- るはずである。 なにが起こっても、それは自分には関係がない そういう態度をとりやすくなるはずである。脳にそういう癖、

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