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A 間
Lしに答えなさい。 (山から図は、段落の番号を表します。)
私は東京で行われたあるオペラの公演に行った。原作を換骨奪胎したきわめて現代的な解釈だったが、
ルに作品の深みにまで達した演出で、私は心を動かされた。もっとも、最近の東京の観客はすぐれたオべ
慣れていて、以前のように素朴な熱狂を示しはしない。かつては、毎回暴動でも起きるのではないかとい
な騒然とした雰囲気になったものだが、その日の観客はあくまでも冷静であった。それでも、終演後時間一
につれて次第に拍手が大きくなって、あちらこちらから「ブラボー」の声も飛んだ。
の頃は、私も負けじと大声を張り上げたものだったが、最近はだいぶ大人しくなった。だから、「ブラ
こそ叫ばなかったが、立ち上がって拍手を続けた。周囲の人々もスタンディングオベーションをしてい
-のような反応をする観客がいる一方で、公演が終わったらさっさと帰り始める客もいた。
らしい上演に接したにもかかわらずあっさりした反応だったからといって、不枠なやつらだと思ってはい
い。自分がどんなに心を動かされたからといって、他人に起立を強制したり、感激を無理矢理に押しつけた|p
とのは大人の態度ではない。
服に、感情において自分と他者が異なる反応をした時にどのような態度をとるかということに、その人の成一
社会の文明度が反映される。自分が心から感激していることに対して、他人がそっけない態度をとるなと
うことは社会の中で普通に見られることである。逆に、自分にとっては陳腐な表現に思えることに、他人が
日激してしらけることもある。
ほぜ、一つの事柄に対する感情の反応は、人によって違ってしまうのだろうか。同じ人間なのに、どうしては
は大感激し、もう片方は冷静でいるのだろうか。従来ならば単に個性の差異として片付けられてきた現象に
んの脳科学は新しい光を当てようとしている。
視覚や聴覚などの情報処理においては、脳の働きの個人差は比較的少ない。丸いものを提示すれば、歴にう
丸いものとして認識する。丸いものを提示した時に、それを「丸」と認識する人と [三角」と認識する人が
はするということはあり得ない。同様に、あるピッチの音を聴いた時に、その情報処理に個人差はあまりま
o
に大きな個人差が見られるのである。
ると考えられてきた。大脳新皮質が担っ
と思われていたのである。
えられるに至ったのである。
しものを前にしても、全ての人がそれを好きだと感じたり、逆に全ての人がそれを嫌いだと思うとは限らない。一
その一方で、ある事象に対する感情の反応においては、個人によるばらつきが大きくなるのが通例である。同一
て、[心虫類の脳」とも呼ばれる古い脳の部位が重要な役割を担う感情は、一定の決まり切った反応をするもの一
知の部分があるほど魅
ふのに、相手に致十項目の質問票を送りつけて、その回答に基づいて「今回は貴意に沿いかねる結果となりまし
お園を、私たちは感情という段味模闘なものに基づく直観に頼ってしまうことも少なくない。ましてや、「祖手