学年

教科

質問の種類

国語 中学生

国語 ▸ 読解の問題 画像は全て物語の文章です. 画像が計3つしか載せられないようなので、問はこちらに書きます. ▸ 棒線➂【自分がおもいちがいをしていたことに気づいた。】とありますが、「私」が気づいたことを次のようにまとめるとき、空欄にあてはまる内容を、 指導 ... 続きを読む

いしがき むかい S 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 (26点) ごとう 「私」(ナズナ)は長崎県五島列島に住む中学二年生で、合唱部に所属している。 合唱部はもともと 女子部員しかいなかったが、新任の柏木ユリ先生を目当てに男子部員が大勢入部した。しかし、男 子部員の練習態度が真剣ではないことから、女子部員との間に亀裂が生じている。合唱部は、音楽コ ンクール(コン) の自由曲として、柏木先生が作曲し生徒が作詞したオリジナル曲を歌うことになっ た。ある日の練習で、部長の辻エリが男子部員の練習態度をとがめ、 いさかいとなった。雨が降る中、 気持ちを落ち着かせるために外に飛び出した辻エリは、ずぶぬれになって風邪をひいてしまった。 辻エリは風邪を長びかせて欠席がつづいていた。電話で話をすると、勉強の遅れと、合唱部の練習を 心配していた。彼女は相撲取りのような声になっており、歌う側ではなく、指揮担当でよかったと話を する。 彼女がいない間、部長の仕事は私が引き受けることになった。 ある日の昼休み、私は先生のところを訪ねて放課後の課題を聞いた。つまり練習の方針である。その 際、先生がデスクの引き出しを開けたのだが、なかにはファンシーなグッズがたくさんつまっていてお どろいた。しかしそのことはどうでもよくて、先生は引き出しから課題曲『手紙』の楽譜のコピーを取 り出して私に差し出したのである。 ひび 楽譜のところどころに「ここは霧の中をあるくように濁った声を」とか「口の中をひろげて響きを逃 がせ!」とか「自分のなかで祈りながら歌え」などと大量に書きこんであった。辻エリの文字だ。 「部長のお見舞いに行ってきて、ついでに楽譜をコピーさせてもらったんだ。あいつ、大量のメモ書き をしてた。 これを参考にしながら当面はやっていこう」 さらに、自由曲の作詞の件で話をされる。 全員に課した作詞の宿題は、半数以上が未提出だという。 「提出されたなかから、使えそうなフレーズを抜き出してたんだけど・・・。 でも、ちょっとこれを見て 「欲しい」 ノートのページをやぶったものを柏木先生は見せてくれる。 ちいさくて自信のなさそうな文字がなら んでいた。消しゴムで何度も消されたような跡もある。男子の文字だろう。その汚さから推測した。 一読して、私は先生を見る。 柏木先生は机に頬杖をついて窓の外に目をむけていた。 「損した気分です。 最初からこいつに歌詞ばたのめばよかった」 「ナズナが骨格をかんがえて、桑原が肉付けしたって感じだな」 私は職員室を出て、桑原サトルをさがしてあるいた。 彼が仕上げた歌詞を自由曲に採用するのだとい うことを報告するためだ。 しかし教室にも図書室にも彼はいない。外だろうか? たまに男子がほんや りしている校庭のソテツのところに行ってみる。すると、男子の集団が運動場の端っこを海の方角にむ かってあるいているのが見えた。合唱部の男子部員たちだ。彼らにすこし遅れて、ひときわ背丈の低い 桑原サトルの姿があった。いつものようにうつむいてあるいている。 もしや、と私はぴんとくる。彼は海辺に連れて行かれて、いじめられるのではないか。そのような連 想をしたのは、彼らのなかでいつも桑原サトルだけが浮いていたからだ。ひとりだけ真面目に練習をし ていたから、いけすかないやつだとおもわれたのではないか。事実を確認するため、私はこっそりと後 をつけることにする。 すなはま うちの中学校は正面に石垣を持ち、裏側が海に面している。といっても砂浜のような気持ちのいい場 所ではなく、ごつごつした岩場の海岸だった。運動場を抜けて、岩場におりる階段へと男子の集団が消 える。 私は頭を低くして、彼らを見下ろせる場所まで移動した。 向井ケイスケ、三田村リクが、岩場の縁に 桑原サトルを立たせている。背後は海という場所に桑原サトルは追い詰められたような格好だ。 二年生、 一年生の男子の集団が桑原サトルを囲む。 一人対六人の図だ。 絶対的ピンチの状況である。 曇り空の下で、灰色の海がごうごうと音をたてていた。岩にうちつけられた波が、白い泡をちらす。 私は次第にこわくなってくる。 今すぐに飛びだして声をかけるべきなんじゃないか。 しかし、彼らのお

解決済み 回答数: 1
国語 中学生

国語が得意な方 (2)が分かりません 教えてください🙏

44 説明的文章 ⑥ 覚がないから、便所のスリッパのまま畳の部屋にはいりこんで主 基本問題 >>>>> わてさせたりするのである。 〈熊本> 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 日本人は住まい方において、内と外とを厳しく区別するという行動 様式を示す。最もはっきりしたその現われは、家の中にはいる時には 3このような家の内と外、部屋の内と外の区別は、物理的とい もむしろ心理的なものである。つまりそれは、意識の問題であり、 観の問題である。 あら [②という習慣である。今日のように鉄筋コンクリートのマンション そうごん に椅子とテーブルの生活という洋式を採用しているところでも、まずほ とんどの日本人はこの風習を守り続けているであろう。もちろん、西欧 社会でも、家に帰れば内履きにはきかえるということはよくあるが、そ れは私的な環境でくつろぐためであって、例えばお客を迎える時はきち んと靴をはくし、客も靴のまま家の中にはいって少しも怪しまない。だ が日本ではお客にたいしても靴を脱ぐことを当然のこととして要求する ので、慣れない外国人は当惑するということになる。 空間構造はつなが っているように見えながら、行動様式では内と外は明確に区別されてい るのである。 どの社会にも、聖なる空間を大切にする習慣があって、その 立派な教会堂や荘厳な神社が建てられる。だが西欧の教会建築は って内外の区別がはっきりしており、壁の内部は聖なる場所で、 は俗世間ということがかたちの上でも明確だが、日本の神社で聖 間を示すものは、物理的には境界として何の役にも立たない鳥 る。つまり一歩鳥居をくぐれば神の空間であるというのは、もっぱ れわれの意識の問題なのである。 とびし あいまい 似たような例として、お寺や日本式料亭の庭の飛石の上に、 十文字に縄をかけた小さな石が置かれていることがある。これは と呼ばれるもので、ここから先は立入禁止というしるしである。 れも、その気になれば簡単にまたいていけるもので、物理的には 碍にもならない。関守石の存在によって空間が区別されるのは、 れの意識のなかにおいてである。 がい 2 このことは、間仕切りの曖昧な家の中においても同じである。お客 にたいして、靴の代わりに室内用のスリッパを提供するというのは、今 ではごく普通に行われている。だがそのスリッパも、板の間や廊下なら F よいが、畳の座敷に上がる時は再び脱がされる。というよりも、普通の 日本人なら、スリッパのまま畳の部屋にはいることには、大きな抵抗感 があるであろう。あるいは、たいていの家では、便所にはまた別の専用 のスリッパがあって、そこでまたはきかえるということになる。日本人 にとっては、それはごく当たり前のことだが、西洋人にはそのような感 このように、眼に見えないかたちで内外の区別が成立する は、鳥居や関守石の意味についての共通の理解を前提とする。 そ の理解を持った集団、ないしは共同体が日本人にとっては「身内 リ「仲間」であって、その外にいる者は「よそ者」ということに 日本の家がしばしば「うち」と呼ばれるように、家族は「身内」の 14 to Be が見た場合いそ a LO tirinh, 60-100

解決済み 回答数: 0
1/4