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この作品の批評文を書くという宿題がでたのですが、何をどう書けばいいのか分かりません。教えてください🙇🏻‍♀️

「形」の本文 摂津半国の主であった松山新介の侍 大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえ 大豪の士であった。 その頃、畿内を分領していた筒井、松永、 荒木、和田、別所など大名小名の手の者 で、「槍中村」を知らぬ者は、恐らく一人 もなかっただろう。それほど、新兵衛は そのしごき出す三間柄の大身の槍の矛 先で、先駆けしんがりの功名を重ねてい た。そのうえ、彼の武者姿は戦場におい て、水際立った華やかさを示していた。 火のような猩々緋の羽織を着て、唐冠纓 金のかぶとをかぶった彼の姿は、敵味方 の間に、輝くばかりの鮮やかさを持って いた。 「ああ猩々緋よ唐冠よ。」と敵の雑兵は、 新兵衛の槍先を避けた。味方が崩れ立っ たとき、激浪の中に立ついわおのように 敵勢を支えている猩々緋の姿は、どれほ ど味方にとって頼もしいものであったか 分からなかった。また嵐のように敵陣に 殺到するとき、その先登に輝いている唐 冠のかぶとは、敵にとってどれほどの脅 威であるか分からなかった。 こうして槍中村の猩々緋と唐冠のかぶ とは、戦場の華であり敵に対する脅威で あり味方にとっては信頼の的であった。 対応する古文の部分・気づいたこと 摂津半国の主松山新介が勇将中村 新兵衛、度々の手柄を顕しければ、 時の人これを鎗中村と号して武者の 棟梁とす。羽織は猩々緋、かぶとは 唐冠金纓なり。 敵これを見て、「すはや例の猩々緋 よ、唐冠よ。」 とて、いまだ戦はざる 先に敗して、あへて向かひ近づく者 なし。 「形」の本文 「新兵衛殿、折り入ってお願いがあ る。」と、元服してからまだ間もないらし 美男の侍は、新兵衛の前に手をつい た。 「何事じゃ、そなたと我らの間に、さよう な辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよ う言ってみい。」と育むような慈顔をもっ て、新兵衛は相手を見た。 その若い時は、新兵衛の主君松山新介 の側腹の子であった。そして、幼少の頃 から、新兵衛が守役として、我が子のよ うに慈しみ育ててきたのであった。 「ほかのことでもおりない。明日は我ら の初陣じゃほどに、なんぞ華々しい手柄 をしてみたい。ついては御身様の猩々緋 と唐冠のかぶとを貸してたもらぬか。あ の羽織とかぶととを着て、敵の目を驚か してみとうござる。」 「ハハハハ。 念もないことじゃ。」新兵衛 は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子 供らしい無邪気な功名心を快く受け入 れることができた。 「が、申しておく、あの羽織やかぶとは、 申さば中村新兵衛の形じゃわ。 そなたが、 あの品々を身に着けるうえからは、我ら ほどの肝魂を持たいではかなわぬこと ぞ。」と言いながら、新兵衛はまた高らか に笑った。 対応する古文の部分・気づいたこと ある人、強ひて所望して、中村こ れを与ふ。

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【至急🚨】 夏目漱石の「こころ」に関する問題です。 どなたか教えてください🙏 私」はお嬢さんに対する(1)に衝撃を受け、自分のお嬢さんへの(2)も打ち明けるべきだと思ったが、時機を逸する。後日、Kに(3)を聞くが、返答はない。 ある日、Kの方から「私」に(4)を求め... 続きを読む

私」はお嬢さんに対する (1) に衝撃を受け、自分のお嬢さ んへの (2) も打ち明けるべきだと思ったが、時機を逸す る。後日、Kに (3) を聞くが、返答はない。 ある日、Kの方から 「私」 に (4) を求めてくる。 Kの (5) を知った「私」は、その虚に付け込んで (6) そうとし、「覚 悟」の言葉を引き出す。 の夜中の不思議な行動から、 「覚悟」 が (7) の意味を持つ のではないかと解釈した 「私」 は、 Kを出し抜いて奥さん から (8) を得る。 Kへの (9) が復活するものの、 「私」 には謝罪も、 事情の 説明もできない。 奥さんが結婚話を伝えた際、 Kは微笑 をもって応じたという。 Kの (10) 態度に 「私」は自分を恥じるが、 事情を打ち明 け謝罪しようか黙っていようかと迷っているうちにKは 自殺してしまう。 「私」 を非難した言葉のないKの 「手紙」 に、(11) と思うが、 (12) を深く感じる。

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全ての答えを書いてください

次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 中学三年生の部は、テニス部の部長をしていたが、途中入部してきた幼なじみの太に 代選手の最後の大会に出ることができなくなった。 太の父で、レ ストランのシェフをしている。 「努力してきたことが、必ずしも報われるということはないんですね」 早苗はため息とともに、空虚なまなざしを足元に落とした。 がまた集まってきて、少しずつ行儀のいい列を成し始めている。 「早苗ちゃんはテニス、楽しんでた?」 「..... 最近じゃ、全然楽しくなくて、部活が憂響です。 あんなに好きだったの に嫌いになんか、なりたくなかったのに。嫌になってしまったのかもしれま せん」 拳が軋む。薄い皮膚が突っ張って、 関節のところから裂けていきそうだ。 どっちのことをいっているのだろう、と登磨は淡く検討する。 あるいは「どっち」ばかりではなく、それには自分自身も含まれるのだろう お茶を口にした登磨は、太ももに肘を乗せて前屈みになる。 首のところをつ まんだペットボトルの中で、 わかば色の液体が揺れる。 「つまりは負けたから嫌いになって、勝ってるうちは好きでいるってことか。 勝ち負けって影響力すごいね。ところがどっこい幸いなことに、勝ち負けを重 視する部活はそろそろ終わる。 終わるんだからもう誰かと競うこともない。 こっからは自由だってこと。 やりたくなったらやればいいし、やりたくなかっ たらやんなくていいわけ」 早苗は、顔を上げて目を丸くして登磨を見る。 「休めば、また向き合えるようになるよ」 「なりません!」 早苗が強く否定した。 磨は眉を上げる。 【君、否定する声は大きいんだね」 が目の周りを赤くにじませる。 店長さんには分かりませんよ。挫折なんてしたことないですよね」 「分かんないよ、テニスはやったことないから」 早苗が、意表を突かれた顔で登を見た。 目の周りの赤みが一 料理で、ですよ RECO 問一 一部a、bの漢字の読み方を、ひらがなで書 問二~~~~~~~~部「未熟」と、熟語の構成が同じものを、次のア~オから一つ選 び、記号で答えなさい。 早春 閉会 寒冷 ア イ 無力 腹痛 問三 部1の表現には、どのような効果がありますか。 最も適切なもの を 次のア~エから一つ選び、記号で答えなさい。 ア お節介を続ける登磨に対する早苗のいら立ちの思いを表す効果。 イ テニスの試合に出られないという早苗の悩みの深さを表す効果。 ウ辛さを必死に我慢しようとする早苗の苦しい気持ちを表す効果。 エ苦しみを理解してほしいという早苗の真剣な気持ちを表す効果。 問四 どのようなことを否定したのですか。その内 部2とありますが、 容を次のような形で説明したとき、Ⅰ~Ⅲに入る最も適切な言 葉を、本文中からそれぞれ五字以内で抜き出して書きなさい。 "をはっきりさせることにとらわれない Ⅱ な環境になれ ば、テニスに再び ということ。 問五 一部3とありますが、早苗はなぜこのような顔をしたのですか。 そ の理由を、次の二つの言葉を使って、「~のに、~」 の形で、四十五字以 内で書きなさい。なお、二つの言葉は、どのような順序で使ってもかまい ません。 料理 テニス 問六 部4とありますが、このときの早苗の様子を、次のような形で説 明したとき、 口に入る最も適切な言葉を、あとのア~エから一つ選 び、記号で答えなさい。 登磨の言葉が、自分の悩みの □ように感じている。 ア核心をついている ウ裏をかいている 1 H じょうてん なさい イ片棒をかついでいる エ焦点をしぼっている

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模範解答がないので解答、解説を教えていただきたいです。お願いします🙇🏻‍♀️💦

次の文章を読んで、あとの (一) から (六)までの問いに答えなさい。 (文字数の指定がある場合は、句読点も字に数える) 昔、人々は自分の住んでいる地域内でいっさいの暮らしを立て、村ざかいや 国ざかいを越えて、よその地域に出かけることはなく、 それぞれの地 域でそれぞれの地域特有の言葉 が形成されていきました。 ところが、明治維新になって、東京に明治政府ができ、 日本語を統一しよう として、東京の言葉を標準語として、徹底した共通語の普及を強引に行ったこ とはよく知られています。 戦後、爆発的に膨張したマスコミュニケー ション、なかんずく放送ジャーナリズムが、その普及に大きく加担しました。 そうしたことのために、一方では、日本中どこへ行っても言葉が通じなくて困 るというようなことはなくなりました。 C 一方では、方言の中の、たく さんの美しい言葉、 微妙な感情を伝える言い方、 力強い表現、 ゆかしい言い回 などを死滅させ、今もさせつつあります。 ヨーロッパでは、中世封建制が崩れ、近代国家が作り上げられていく過程で、 各地の言葉が混ざり合い、 溶け合い、それに芸術家や学者が磨きをかけて、長 い時間をかけて、それぞれの国語が熟成していきました。 日本では、その熟成期間が飛ばされてしまったのだといえるでしょう。 学校で、標準語の普及を図る手段として、方言を口にしたら罰として背中や 胸に「方言札」と書かれた木の札を掛けるということまで行われました。 沖縄県平良市の大神島では、戦後もこの方言札が、 小・中学生だけでなく、そ の父兄たちにまで用いられたそうです。 こうした、無理強いの、ゆがんだ経過を経て流通している、いわゆる標準語 は、まだまだインスタントの人工語で、たいそうやせており、方言の側から輸 三次の(一) から (四)までの傍線部について、漢字はその読みをひらがなで 書き、 カタカナは漢字で書きなさい。 会社で事務用品をコウニュウする。 手紙からは故人の人柄がうかがえる。 日程の都合で旅行をアキラめた。 (四) 肉体と併せて精神の強さが必要だ。 e. (1) (11) (111) > 血しないと、ますます貧血の度が進むというのが、わたしの認識です。 日本の近代化の陰で、標準語という名の消しゴムに消された方言の中から、 輸血するに値する濃度を持った言葉を探し出すことは、地上から消えていくわ らぶき屋根を惜しむといったふうの感謝を超えた、日本語の現場の問題なのだ とわたしは思っています。 すい それにしても、方言は日々幾何級数的なといえるほどの速度で衰微しつつあ ります。 消えてしまったら、それでもう終わりです。 世の中の変化とともに、言葉も変わっていくのだから、方言が消えていくの も、自然な推移だ、という論旨があります。 言葉とはそういうものだと、わた @ しもそれに基本的には賛成です。 しかし、同じ一つ屋根の下に住む家族で、おじいさん、おばあさんのしゃべ る言葉が、孫にはもうよく理解できない、それほどの状態を生むような時代の せっかちな流れ方に、その速さに、このまま身を任せてていいのだろうか、と 思うのです。 捨てなくていいものまで、わたしたちは、捨てつつあるのではないか、と危惧 します。 共通語自身、例えばニホンカニッポンか、日本の国の名さえどっちつ かずであるほど、まだ Ⅱ しているのです。 いい換えれば、日本にはまだ真 の意味での共通語はでき上っていません。 そんなとき、日本の各地で、遠い昔 からの人々の生活と結び付いて息づいてきた方言を顧みることなく、点検 もせず、あっさり捨て去っていいはずがありません。 (川崎洋 『感じる日本語』による) 四 次の(1) から (三)の問いに答えなさい。 次の文の傍線部に対する主語を、 あとのアからエまでの中から一つ選ん で、そのかな符号を書きなさい。 ① 私は母が食べたいと言っていたお菓子を兄が食べていたのを見た。 ア 私は イ 母が お菓子を エ兄が ② 彼がコーヒーを飲んでいたので、私も同じものを注文した。 ア 彼が コーヒーを ウ 私も 同じものを 次の文の傍線部が修飾する文節を書きなさい。 ① 屋上で父が兄から 将来の話を聞いていた。 ②昨日山で食べたカップラーメンはとても美味しかった。 次の傍線部を文脈に合った正しい敬語に直し、書きなさい。 ① 昨日の朝、娘が塾に行くと、学校の先生がいたそうだ。 ② 小学生の妹は校長先生からもらった賞状を家に飾っていた。 (1) (11) (111) wintere

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国語の「盆土産」という物語の質問です。 写真が「盆土産」の物語の一部です。 Bで「んだ。うめえ。」と同調したのはなぜか?『しっぽ』という言葉を用い、15文字以上20字以内で答えなさい。 という質問なんですがこの時どのように書いたらいいか教えてください! お願いします🙏

■二次の文章を読み、あとの問いに答えなさい。 【二十五点】 盆土産 三浦哲郎 (前略東京に出稼ぎに出ている父親が、 えびフライを土産に、盆に戻ってきた…....。) 揚げたてのえびフライは、口の中に入れると、しゃおっ、というような音を立てた。 か むと、緻密な肉の中で前歯がかすかにきしむような、いい歯応えで、この辺りでくるみ 味といっているえもいわれないうまさが口の中に広がった。 二尾も一度に食ってしまうのは惜しいような気がしたが、明日からは盆で、精進しな ければならない。 最初は、自分のだけ先になくならないように、横目で姉を見ながら調 子を合わせて食っていたが、二尾目になると、それも忘れてしまった。 不意に、祖母がむせてせき込んだ。 姉が背中をたたいてやると、小皿にえびのしっぽを き出した。 「歯がねえのに、しっぽは無理だえなあ、婆っちゃ。 えびは、しっぽを残すのせ。」 と、父親が苦笑いして言った。 そんなら、食う前にそう教えてく かった。姉の皿を見ると、やはりしっぽは見 を見合わせて、首をすくめた。 当たらなかった。姉もこちらの皿を見ていた。 「歯があれば、しっぽもうめえや。」 姉が誰にともなくそう言うので、 「んだ。うめえ。」 と同調して、その勢いで二尾目のしっぽも口の中に入れた。 父親の皿には、さすがにしっぽは残っていたが、案の定、焼いた雑魚はもうあらかたな くなっていた。 翌朝、目を覚ましたときも、まだ舌の根にゆうべのうまさが残っていた。あんなにうま い土産をもらったのだから、今朝もまた川へ出かけて、そばのだしを釣り直してこなけれ ばなるまいと思っていたのだが、その必要はなかった。 父親が、一日半しか休暇をもらえ なかったので、今夜の夜行で東京へ戻ると言いだしたからである。どうりで、ゆうべは雑 魚の食い方が尋常ではないと思ったのだ。 午後から、みんなで、死んだ母親が好きだったコスモスとききょうの花を摘みながら、 共同墓地墓参りに出かけた。盛り土の上に、ただ丸い石を載せただけの小さすぎる墓 せいぜい色とりどりの花で埋めて、 供え物をし、細く裂いた松の根で迎え火をたい } た 祖母は、墓地へ登る坂道の途中から絶え間なく念仏を唱えていたが、祖母の南無阿 陀仏は、いつも『なまん、だあうち』というふうに聞こえる。 ところが、墓の前にしゃが で迎え火に松の根をくべ足していたとき、祖母の『なまん、だあうち』の合間に、ふと、 「えんびフライ....…。」 という言葉が混じるのを聞いた。 祖母は歯がないから、言葉はたいがい不明瞭だが、そのときは確かに、えびフライ はなくえんびフライという言葉を漏らしたのだ。 祖母は昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして) 祖父と母 親に報告しているのだろうかと思った。そういえば、祖父や母親は生きているうちに、そ びのフライなど食ったことがあったろうか。 祖父のことは知らないが、まだ田畑を作って いる頃に早死にした母親は、あんなにうまいものは一度も食わずに死んだのではなかろ うか ―そんなことを考えているうちに、なんとなく墓を上目でしか見られなくなっ た。父親は、少し離れた崖っぷちに腰を下ろして、黙ってたばこをふかしていた。 父親が夕方の終バスで町へ出るので、独りで停留所まで送っていった。谷間はすでに日 がかげって、雑魚を釣った川原では早くも河鹿が鳴き始めていた。 村外れのつり橋を渡 り終えると、父親はとって付けたように、 「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」 と言った。すると、なぜだか不意にしゃくり上げそうになって、とっさに、 「冬だら、ドライアイスもいらねべな。」 と言った。 「いや、そうでもなかべおん。」と、父親は首を横に振りながら言った。「冬は汽車のスチ ームがききすぎて、汗こ出るくらい暑いすけ。 ドライアイスだら、夏どこでなくいるべお ん。」 それからまた、停留所まで黙って歩いた。 バスが来ると、父親は右手でこちらの頭をわしづかみにして、 「んだら、ちゃんと留守してれな。」 と揺さぶった。それが、いつもより少し手荒くて、それで頭が混乱した。 んだら、さいな ら、と言うつもりで、うっかり、 「えんびフライ。」 と言ってしまった。 バスの乗り口の方へ歩きかけていた父親は、ちょっと驚いたように立ち止まって、苦笑い した。 「わかってらぁに。 また買ってくるすけ......。」

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課題図書で意味のわからいぶんがあったので質問しました 写真で線の引いている 一人でいられる喜びを教えることは、解釈では出来ないとはどういう意味ですか?

Jul AM PILO. の顔のように直視した。 胸に棲んでいるうさぎが耳をたてた。耳をたてて、校舎のあ ちこちから聞こえる練習の音をとらえた。 リズムを作る。単純な作業だが、克久にとってこれくらいおもしろい作業は他にな かった。 基礎練習は相変わらず、祥子と並んで机を叩くだけだ。もっとも、この頃に なると課題曲と自由曲、つまり「譚詩」と「くじゃく」のパート練習が始まっていた し、基礎練習のほうもさすがにひとつ打ちだけではなくて、ふたつ打ち、みっつ打ち とアクセントをつけたものになっていた。それにしたところで、他のパートから見れ ば、練習と言うより修業みたいな風変わりな様子だった。おまけに、克久は祥子とあ のまり口をきかない。 陽気な祥子も練習になると黙々と同じ動作を繰り返す。 はたから見て、それがどんなに単調に見えようとも、右手と左手を均等に使って、 粒の揃った音を出すのは簡単なことではなかった。しかし、音の粒が揃うというのは、 それはそれは気持ちの良いものだった。 音の粒が揃うと、身体の血の巡りが良くなる。 克久は心臓が微笑するような感覚が そこにあるのを発見した。 胸の中でうさぎが耳を澄ましている。ちょうど心臓のあた りで、耳を澄まして、叩き出される音の粒が揃っているのを眺めていた。 そこには知恵と呼ぶに足りるものがあった。どんな 知恵だと言われても、克久には答えられないが、例の左官屋の仕事とは、まるで別の 知恵があった。 克久はもともと、一人でいることは苦にならない性質だ。一人息子で 一人っ子だからかもしれない。百合子も仕事を持っていて忙しかったから、一人でい ることに慣れたのかもしれない。理由は幾らだって考えることはできるし、解釈はい くらでもできるが、一人でいられる喜びを教えることは、解釈ではできない。克久は 他の部員とのコンビネーションを必要とするパート練習より、単調な基礎練習のほう が好ましかった。一人でいることは苦にならないが、基礎練習をしていると、ある喜 びの色を帯びてくる。小さな音の粒が克久の息をしている世界に向かって放たれると 同時に、彼の身体へと染み込んできた。パート練習で自分の役割を早くも意識し始め ている祥子と克久の違いはそこにあった。 時々、思いがけぬ時に、克久の身体の中からリズムが顔を出す。トントントンと何 かを叩いてみたくなる。夜、風呂に入ろうとしてパンツ一枚になったとたん、不意に、 これだという感じがした。自分のスティックを持って来て、洗濯機をトントンとやっ た。背筋を伸ばして、この際、パンツ一枚なのは何の問題にもならない。 服を着てい る時と同じように、リズムに合わせて踵を上げながら、トントントンと叩いた。 「あら、くじゃくとタンシのおけいこ」 かかと 金 楽 理 + t-mat 中高一貫 数: ミネルヴァのリズム 田幸先生 数学 上田幸生 atama 英語 2 英 新先生 ふろ 月19 数学 幸 ipa

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答えと解説お願いします!

月 〈随筆〉 (1.5.10… は行番号です。) 中学一年生の夏休み、生れて初めて高山を間近に眺めた。 父親の仕事 の手伝いで上高地に行ったのである。 車酔いでふらふらになった私の頭 上へ、穂高連峰がいきなりおおいかぶさってきた。 私は突然自分が蟻み たいに小さくなるのを感じた。 そして山は美しさと荘厳さにおいて、ま さに神に近かった。 山に人が太刀打ちできるとは、とうてい思えなかっ た。その印象はいまだに体に彫りこまれていて、消すことはできない。 北の山を中心にあちこちの峰をめぐり歩いていたときも、私は偉大なる 山に遊んでもらっていたにすぎない。 父は双翅目が専門の昆虫学者であった。上高地には妖精のような高山 もふわふわ舞っていたのだが、私が捕るように命じられたのはハエと アブだけだった。たぶん父は研究対象の双翅目の許可だけをもらってい たのであろう。私は笹やぶを補虫紙で引っかき回すのに退屈して、手伝 いを放棄すると、魂のけし飛ぶ思いでいつまでも山々を眺めつづけた。 そうかいかん 翌年、焼岳と西穂に登った。頂上に立って四方を見わたす爽快感を知っ 156た。その次の年は館が岳。下山後、雲海の夢につきまとわれた。〈中略〉 五歳まで札幌で暮らしていた私は、ふるさとの山や雪に特別の思い入 れを持っていた。北大に進学したのも、北の自然が私を呼んだのである。 〈中略〉 しょかん ていね あしべつ そらぬま 四年間に登った山々は、 空沼・朝里・十勝・大雪・手稲・芦別・暑寒 えにわ らうす ゆうばり たてやま 20別・ニペソツ・石狩・余市・羊蹄・恵庭・羅臼・ニセコ・夕張・立山・ 穂高・白馬など。 夏も冬も道内も道外もひたすら登りつづけた日々であった。 それぞれ の山には、それぞれの思い出が焼きついていて、今となってはどれかを 選びだすことは不可能に近い。 25 ガラスの粉のようにきらめくザラメ雪、羽毛のように軽やかに舞いあ れっぷう ほお がる新雪 烈風を頬にたたきつけて凍傷を残して去った猛吹雪、ヒグマ 2を気にしながらやぶこぎしたハイマツ帯、色とりどりの敷物のように展 基本の確認 問 3行めの足を洗って に関連して、「足を洗う」の意味を辞書など を使って調べてみましょう。 アドバイス 慣用表現には体の一部を使ったものがたくさんあります。 「足を洗 う」と同じように「足」を使ったものには「足が重い」 「足が地に つかない」 「足をのばす」などもあります。 これらの意味だけでなく、 ほかにどのような表現があるかも辞書などで調べてみましょう。 問一 筆者の山に対する印象〉7~8行めの私は偉大なる山に遊ん でもらっていたにすぎない について、筆者が山を偉大だと感じてい る理由を次のように書きました。 後の1~③に答えなさい。 筆者が生まれて初めて見た高山は、筆者に「A(六字)」るほど大 きく、あまりにも美しく荘厳だったので、 人間などとてもかなわない 神様のように感じられたから。 ①Aに入る最も適当な言葉を、 六字で本文中からそのまま抜き出 しなさい。 ② とてもかなわない について、本文中で筆者が山に「とてもかなわ ない」と述べている部分(同じ意味の部分)を二か所探し、それぞれ 一文でそのまま抜き出しなさい。 (注)そうしく ほかほぼ & けだけにしほ ここんちゅう ♦ ようてい ♦ ♦ ♦ ・ ・ ・ • ぞうしょく 2開するお花畑。映像は消えることなく重なりあい、増殖してふたたび山 への慕情をかきたてていった。 30 卒業後も、仕事の間をぬってせっせと山へ行った。五月の尾瀬では丸 し ぶっさん 三日間一人歩きして、出会ったのは至仏山のふもとで春スキーをしてい た数人のスキーヤーのみである。七、八年後には交通整理をするほど有 名になる場所とも知らず、思えばぜいたくな山旅であった。 頂上が目的の登山から足を洗って、十年以上にもなる。 幼い娘たちの 956 体力に合わせて、ゆっくりした山歩きを選んでいるうちに、いつかその ほうが自分の性にも合っていることを発見したのである。 のんびり野山 を歩いていると、それまでは気にとめなかった様々の生命のしるしが現 われてきた。野鳥の鳴き声、茂みを走っていく小動物の足音、ひっそり と咲く野花の群れ、樹木のささやき、昆虫たちのふしぎな生活。自然の 中にはこれら生き物の気配が満ち満ちていた。 そうがんきょう いつのまにか私は双眼鏡を首からさげ、リュックに数種類の図鑑を入 れ、片手にノートを持った自然観察者の姿になっていた。人生の幾つ目 の角を曲がって、山がたて方向にのみではなく、水平の方向にも深い 広がりを持つことを見いだした私は、いわば最初に山を見た中学生の地 145点に戻ったのかもしれない。 彼女が穂高の に人智を超えたものを見たように、私も今、自然を形 づくる生命たちの精巧さに限りなく引かれているからだ。 せいこう (注) 双眼….二枚の翅を持つ昆虫の仲間。 北大・・・北海道大学。 やぶこぎ… 低木の密生する藪を地面に足がつかない状態でかき分けて進む こと。 ハイマツ帯… マツ(ハイマツ)が広がる地帯。 尾瀬・・・福島県・新潟県・群馬県に広がる盆地状の高原。 (③) 筆者が、いろいろな山に登れるようになった後も、「偉大なる山に んでもらっていた」と述べていることを次のように書きました。 に入る言葉を本文中から探して書きなさい。 筆者は を知った後でも、初めて高山を見たときに抱いた、山に対する尊敬の 気持ちは変わらなかった。 問二山歩きを楽しむ筆者〉 4行めの自然観察者の姿について、 山歩きを楽しむ筆者の姿を想像しましょう。 このときの持ち物を、筆 者がどのように使うか、 本文を参考にして考えてみましょう。 そうがんきょう 双眼鏡 問三昔のことを振り返る 〉 4行めの彼女は誰のことをさしますか。 次の1~4から一つ選び、その番号を書きなさい。 筆者の父 2 上高地で見た山 3 筆者の娘 4 中学生の頃の筆者 T ・・・ 長野県にあるんかくけいお こんちゅう (とうゆきこ 山と私」による。

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(1)(4)を教えてください

H 3次の文章を読んで、問いに答えなさい。(6点×5) わたしを喜ばせるのは山のキツツキだ。キツツキは、 さい。 オ私の姉は、 看護 夏は来ないが、秋の頃から冬にかけてこの辺にすんでい て、ときどき小屋をつつきにくる。小屋の外の柱や棒ぐ いや積んである薪などをつついて、中にいる虫を食べる らしい。その音がなかなか大きく、こつこつこつこつと せっかちにきこえる。まるでお客がノックするような感 の開係 でれどの部分 い。 の「せる」の意 ( じで、思わず返事がしたくなる。つつく場所によってと m) んとんとんとんともきこえ、し ばらくすると大きな羽音をさせ て、また別の柱にゆく。虫がい ましたかと聞いてみようとして いるうちに、キョッというよう な小さな鳴き声を出して、すぐ に飛んでいってしまう H 合 用形を書きな い。 (7点×4) たいてい山火 (高村光太郎「山の雪』より) ちを集めるた えるわけでも でもなかった e 「に」の識別一線部 の「に」に当てはま るものを、一つずつ選びなさい ア 助動詞 イ 副詞の一部 ところで容易 を纏った大人 4 ウ 助詞 ェ 形容動詞の活用語尾 「らしい」の意味·用法「らしい」と同じ意味 用法のものを、次から一つ選びなさい ア 春らしい服装で外に出かける。 イもうすぐ先生が到着するらしい。 ウパンダが愛らしいしぐさで動く ェ 中学生らしい生活を送る 主語 「きこえる」の主語を、一文節で書き抜き は異なった表 の頃が多かっ 、枯れ枝など」 え移ってしま 火が逃げる。と ある感じが き日のこと」より) なさい。 る文節を書き 形容詞文章中から、形容詞の連用形を、一つ書 き抜きなさい

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