いにしへの家の風こそうれしけれかかることのはちりくと思へば
(後冷泉天皇ご在位のとき)
ごれいぜいるん
(天皇が女房たちを)
にようばう
後冷泉院の御時に、十月ばかりに、月のおもしろかりけるに、女 房達
(連れて)
(お出ましになって)
(月見の宴をなさったときに)
たま
あまた具して、南殿に出でさせおはしまして、遊ばせ給ひけるに、かへで
いせのた
のもみちを折らせ給ひて、女房の中に、伊勢大輔が孫のありけるに、投げ
(おっしゃったところ)
つかはして、「この中には、おのれぞせむ」とておほせられければ、程も
(お聞きになって)
(歌の品格)
なく、申しける歌なり。これを聞こし召して、「歌がらはさるものにて、
(いよいよ)
疾さこそ、おそろしけれ」とぞ、おほせられける。されば、なほなほ
少々の節はおくれたりとも、疾く詠むべしとも覚ゆ
おぼ
みなもとのとしより
としよりずいのう
(源俊頼『俊頼髄脳』)