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この手紙のあと、かれこれ三十年付き合
の姿を見せたのは、この手紙の中だけてある。
この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば、父が
宛名を書き、妹が「文面」を書いた、あの葉書ということになろう。
になるだ
うな父
終戦の年の四月、小学校一年の。末の妹が甲府に学童疎開をするこ
とになった。すてに前の年の秋、同じ小学校に通っていた上の妹は徳
開をしていたが、下の妹はあまりに幼く不慨だというので、両親が手
放さなかったのてある。ところが、三月十日の東京大空襲で、家こそ
焼け残ったものの命からがらのめに遭い、このまま一家全滅するより
は、と心を決めたらしい
妹の出発が決まると、暗幕を垂らした暗い電灯の下て、母は当時貴
重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を付け、父はおびただ
しい葉書にきちょうめんな筆で自分宛ての宛名を書いた
RS
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ります
がわ…
(句藤
マル
て、毎日一枚ず
なさ