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世界恐慌で、植民地のブロック経済が進んだ。植民地の少ない国が不利になる。
①満州と関東軍
日露戦争で、国家予算の7倍の戦費(国際的な借金で返済に時間が相当かかる)と、賠償金が取れず、満州の権益(他の権益もあるけど大きな物として)だけを得た。
日露戦争は、多数の日本兵が死んでいる。=家族に戦死者が出ているので、簡単に手放そうとは情緒的になりにくい。
で、現地の守備隊が、勝手に戦争を始めた。満州事変。
②満州事変は、用意周到な計画もあり、純軍事的には大成功。外交や国内政治的には、大問題を残す。
経済的苦や①のような流れもあり、国民世論は、好意的に、軍や関係した軍人を処罰しにくい。
政府の指示を無視して、現地で戦争を始められるのだからさあ大変。
③軍人が出世するには、戦果をあげる必要性がある。それでいて、勝手に戦争できるのであれば、出世し放題になる。
そこで、満州事変のように日中戦争をすれば、どんどん出世できると陸軍の中に変な流れができる。
満州事変を計画した石原完爾は、戦略的に満州は、万里の長城より北にあるので、中国ではないという判断で、実行した。
彼自身は、満州事変で出世して、陸軍の中枢にいた。当時の彼は、中国大陸進出は否定的だった。
でも、部下からは、あなたがしたことを、私達がして、なぜ悪いのですかと言う感じなので、日中戦争に向かう流れを止められなかった。
※この点が、ゆうきさんの「日本はその頃調子に乗っていて、中国での土地や人民、資源を取ろうとしていたから。」につながっていますね。
④軍のおごりとしては、「欧米に対抗して、アジアの独立を確保しなくてはならない。」と言う考え方があるのですが、その手法として、まずは、グタグタの中国に対して、武力で従えて、欧米に対抗しようと考えていた節がある。
実際、中国は、清の崩壊後、グタグタなんですけど、だからといって、アジアの独立を考えているのに、中韓は支配するという発想は今から考えるとおかしいですよね。
⑤先に述べた④に矛盾があるから、中国は日本の戦う道を選択し、欧米は、中国を支援していきます。中国が日本の手に落ちたら、次は、アジアの欧米の植民地を日本が狙い出す可能性がありますからね。
⑥先述の⑤によりABCD包囲網ができ、日中戦争も終わっていないのに、アメリカから石油がたたれ、アメリカと戦争せざるおえない事になります。
⑦アメリカも清の分割には興味があって、満州に関心があったようですが、満州は①の理由で日本が死守しますから、そのため仲が悪くなっていくという意見もあります。
※色んな視点や考えがあるので、判断は個人にまかせます。
「宣戦布告前に空母機動艦隊(航空機)によるだまし討ちはけしからん!」とリメンバーパールハーバーを合い言葉に、アメリカは、日本と戦争をし、ほとんどが海軍同士の戦いだった。
でも、面白い事に、東京裁判をふたを開けると、A級戦犯が、海軍は少なく、陸軍が多い、さらに、関東軍関係とい別枠まである。
詳しくは、ウィキペディア見て下さい。
⑧世界恐慌と世界大戦については、↓ここを参考にしてくださいな。
https://www.clearnotebooks.com/ja/questions/1197794#1284790
⑨『驕れる者久しからず』『因果応報』
出世のために、戦争を拡大した陸軍関係者はその功績で出世して、国の舵取りをする事になります。その時、ABCD包囲網で身動きがとれなくなります。
彼らは、大正時代に、政府が試算した想定では、日米決戦は必敗と分析が出ているのに、勝かもしれないといって開戦に踏み切ります。
ある意味、自業自得です。
⑩東条英機の限界と生い立ち
東条英機の父は優秀な軍人でしたが、薩長出身者じゃない(祖父(父の父)は陸奥の盛岡藩士)と言う理由で、出世が遅れます。
それを見ていた東條英機は、出世に異常にこだわる事になっていきます。
平和な時代の軍隊は、学歴社会ですので、東條英機は、天才では無く、努力する秀才タイプでしたので、猛勉強して出世の糸口を見出します。
その後、関東軍の憲兵隊で出世していきます。その経歴があるので、総理大臣になったときも高等警察とか憲兵を使った国内のしめつけをしてきます。
そして、日中戦争で司令官の一人として派遣され、戦果をあげ、出世していきます。
彼は、本を読んだりするのが無駄と考え、ひたすら、部下の人事を考えていたそうです。だから、時流の流れを読めませんし、戦略家としては凡庸です。だから、石原完爾は、東条英機戦略眼のなさを揶揄して、「東條上等兵」とバカにします。将軍や将校が持つべき戦略的視野がないという意味だと思います。
その正反対が、石原完爾です。彼は努力家というより、天性の天才です。しかし、天才過ぎれ、まわりがついて行けません。
彼だから、圧倒的に数が少ない関東軍が満州事変を大成功させれたのです。そして、満州事変と日中戦争の違いも見通せてました。
とはいえ、本当の天才なら、日本が太平洋戦争で焼け野原にならように満州事変と違う方法をとるべきでした。策士、策に溺れた状態です。
最後に、東京以外で唯一行われた東京裁判。
東京裁判については、色んな視点や考えがあるので、判断は個人にまかせます。
あくまで、こんなことがあったと言う歴史的な視点で書いています。他意はないです。
東条英機と反りが合わないので石原完爾は、軍を引退しています。太平洋戦争には関わっていません。
それでも、東条英機と仲が悪いから、東条英機に不利な発言をするだろうとアメリカ軍は、彼を東京裁判に呼びます。
敗戦国の元軍人なのに石原完爾は持病があるから、東京に行かないと強気で言ってきます。仕方ないので、アメリカは酒田で裁判をおこないます。
アメリカは、いかに満州事変が悪いかを証明したいので、太平洋戦争の原因が満州事変とか満州国設立にあると認めさせようと質問します。
しかし、石原完爾は、戦争の原因を前の戦争にも言及するのはおかし。(東京裁判の構造的おかしな所を突きます。)
さらに、その論理でいうなら、ペリーが大罪人だと主張します。
アメリカのペリーが武力を背景に日本に開国を迫らなければ、日本は、日露戦争もしないし、関東軍(日本陸軍)が満州にいるはずないのですから。
もうこうなったら、戦勝国の都合の良い東京裁判なのに、それができなくなります。
元々、石原完爾は病人で、直接太平洋戦争の戦争指導をしていないので、アメリカは彼を裁判に呼ばなくなります。
東京裁判は、おかしな裁判で、戦争前に無かったルールで、戦争責任を問うています。
ウィキペディアの人道に対する罪より『国際軍事裁判所憲章以前には存在しなかった「人道に対する罪」と「平和に対する罪」の二つの新しい犯罪規定については事後法』で対応しています。
そうなると、アメリカの東京大空襲や広島長崎の原爆はどうなるのでしょうか?
アメリカは、こんなルールを作ったのに、イラクに対して、大量破壊兵器があるかどうかもわからないのに、あると言って戦争をして、イラクをむちゃくちゃにしたのに、結局無かったと言うお粗末をしていますが裁かれていません。これは、「人道に対する罪」と「平和に対する罪」に当たらないのでしょうかね。
てな感じに、石原完爾は、アメリカの主張の矛盾を鋭く指摘する戦略眼を持っていたのは、事実のようです。
こちらこそです。
お役に立てて、何よりです。
類似の満州事変についてのQ&Aで、もうお読みかも知れませんが、
永田鉄山にもふれています、私が昔読んだ漫画の紹介もあります。
https://www.clearnotebooks.com/ja/question_answers/1284542
もし、ご興味があれば、お読み下さい。
中学校の教科では出てこないと思いますが、
永田鉄山は「陸軍の至宝」「永田の後に永田なし」とまで言われた、日本陸軍史上最高の「エリート」とされた人物で、
彼が陸軍を取り仕切っていたら、また違った未来があったかも知れません。
ありがとうございます!!
詳しく説明していただき本当に助かりました!