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地理 中学生

中学2年 社会 地理  第3章 日本の諸地域 1節 九州地方 (3)だけわからず、回答も無いため、もやもやしてしまい眠れません。 わかるかた教えてください!!!

4 次の資料を見て,各問いに答えなさい。 資料2 資料 1 資料3 (1) 資料1は, ある自然災害の様子である。 この災害についての説明として 誤っているものを次のア~ウまでの中から一つ選んで、そのかな符号を書 きなさい。 ア 災害を防ぐために, 砂防ダムを建設したり, 家屋を石垣のへいで囲っ たりしている。 イ雨によって流れ出た土砂や木が川をせき止め, それが一気に流れ下る ことで土石流が起こる。 ウ この災害による樹木の流出は、地域の林業に被害を与えている。 (2) 資料1の災害が九州地方で多発する理由を, 火山の噴出物が積もった地層 に言及しながら,次のことばを使って簡潔に書きなさい。【 斜面 】 (3) 資料1の災害を防ぐための方法として, 山林の計画的な整備があげられる。 山林の整備が資料1の災害を防ぐことにつながる理由を, 整備の方法に触れ ながら簡潔に書きなさい。 (4) 資料2は沖縄県の土壌の流出を防ぐ取り組みの様子である。 土壌流出につ いての説明として誤っているものを、次のア~ウまでの中から一つ選んで, そのかな符号を書きなさい。 ア 土壌が海や川に流出して河口沿岸の水をにごらせ, さんご礁に被害を 与えている。 イ観光産業の成長とともに, 道路の建設やリゾート開発が行われ,土壌 の流出が深刻化した。 ウサトウキビなどの耕地の斜面を急にすることで、水はけをよくし, 土 壌の流出を防いでいる。 (5) 資料3は沖縄の伝統的な家屋である。 のきを低くしたり, 屋根瓦をしっく いで固めたりしている理由を次のことばを使って簡潔に書きなさい。 【 台風 】 ④ 〈思考・判断・表現 〉 各4点(20点) (1) (4) シラスの地層が広がってお り、 斜面で滑りやすくなってい るため 台風から 家を守るため 4 4 4 4 4

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歴史 中学生

「団結して自立する民衆」でこのページには答えが書いていないオリジナルのような質問(問いかけ)を考えたいです。 ⇧(関連のある質問)

ヘカラス カウニメアル 84 2 正元年 ソウンダメアル 石長べえ!! みんじゅう 民衆 者の生 団結して自立する かか いっこういっき 加賀の一向一揆 一日一向一揆の旗 団結して、命懸 けで戦う決意を示 しています。 <広島 県竹原市 長 正長の土一揆の成果を記した文 い」とは借金のことです。 加賀国の一向宗の信者たちが武士たちと争 いを起こした。 武士たちはすべて国の中央部 から追われてしまった 守護代も武士に味方 したため、 討たれてしまった。 (「大乗院寺社雑事記」より、一部要約) 守護は百姓たちが取り立てた人物だったの 百姓たちの力はどんどん強くなり、近年 は百姓が支配している国のようになってきて いる。 正長の土一 1428年 民衆たちの 一揆 京都 石山本願寺 ALE 正長の土一揆で人々はど ようなことを求めたのか? 小学校・地理・公民・小)、(公) 三木 人々は、自分たちの目的を成し遂げるために,どのような行動を 起こしたのだろうか。 しんぶつ 等の立場で神仏の前で誓い合い、 共に行動しました。 城の国 485~93年 しょみん かいけつ じつげん 室町時代になると、武士から庶民まで「自分た ちのことは、自分たちの力で解決する」いう考え 方によって行動するようになりました。 人々は, 一人で実現が困 難な目的を成し遂げるために、タテのつながり(主従関係とは別に、 共通の利害を持つ者どうしのヨコの結び付きを強めました。その代 表的な結び付きがさまざまな一揆です。 一揆のときには、全員が平 21.pa15 主な~ てんのう しょうぐん だい 1428 (正長元)年には飢きんや天皇・将軍の代替わりが重なった ふ とくせいれい。 おうみのくに ため、近江国(滋賀県) の馬借が中心となり,幕府に徳政令による信 金の帳消しを要求して土一揆を起こしました(正長の土一揆)。壬首 や酒屋を襲って,土地売買や貸借の証文を破り捨てて、質に入れた →p.83 品物を奪いました。 また, 山城国 (京都府) の南部では、武士や農民 しゅごだいみょうたけやま ぐんぜい しゅう ほぐりぐ が協力し合って, 守護大名畠山氏の軍勢を追い出し, 8年間にわ たって自治を行いました(山城の国一揆)。さらに、一向宗(浄土真 宗)が蓮如の活動によって北陸 近畿地方の武士や農民の間で急速 に広まっていき、信徒たちによる一向一揆が起こりました。加賀 (石川県) では守護を倒し、 約100年間にわたって自治を行いました。 10 村の自治 した。 70 71 都祇園祭の様子 京都は応仁の乱 (p.86) で荒れ果てましたが、前の願いにより 祇園祭は復興 (→巻頭1)し、いっそう華やかになりました。 →p.124 **** 都市の自治 **** **** そうそうぞん どくじ しょぼつ 代表が惣 ( 惣村) 付) です。 村の有力者や年長者が中心になって寄合を開 き独自に村のおきてを作ったり、罪を犯した者を処罰したりしま した。 また, 祭りを取りしきり、用水や山野を維持・管理して、 村 が年貢の納入をひとまとめに儲け負うこともありました。 時にはい くつかの村が連合して、村人を乱から守ることもありました。 こ うした村の自治のしくみは、後の江戸時代まで引き継がれていきま 室町時代の近畿地方の村々では、農民が団結して、 地域を自分たちで運営するようになりました。 その Aen かまくら 都や幕府が置かれた京都 奈良鎌倉(神奈川県) のほかに、理 (大阪府) 博多(福岡県)などの港町, 「もんぜんまち 大きな寺社の周りに門前町が生まれました。 こうした都市では,商 だんたい 業 手工業が発達し,商工業者たちは座という同業者の団体を作っ 日村(滋賀県長 湖(滋賀県) 北に 点もの惣村の文書が伝えられま 境界には門や寺院があり、 入ってくるのを防ぐ役を果たしていまし ぜおさ えいぎょうごくせん けんみと て、公家や寺社に税を納める代わりに営業を独占する権利を認めら -p:815 れました。 都市の商工業者たちも、 寄合を開いて町の自治を行い、 幕府や守護大名などの干渉をはねのけました。 応仁の乱から復興し かんしょう おうにん らん ふっこう にちみん にっちょうぼうえき ちょうしゅう ましゅう そんざい にちれんしゅう た京都や、日明日朝貿易で栄えた博多や堺の町衆とよばれる富裕 な商工業者たちは、その代表的な存在です。 日蓮宗は, 町衆などに 厚く信仰され、都市の自治を精神面で萎えました。 →p.69 村のおきて (1489年11月4日 近江今定部(滋賀県 よそ者は、身元保証人 に住まわせてはならない。 一、村の共有地と私有地の境界の争いに 金で解決しなさい。 からには、屋敷を造ってはなら (「今堀日吉神社文書」より、一 FN 12 しょう 各地で起こった一揆の ら、 主なものを本文から してみよう。 しよう 室町時代の人々の行動の 説明 を 「自分たちの力」「 び付き」という言葉を 体的に説明してみよう。

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