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国語 中学生

中3です。こういう漢文ってどう勉強すればいいんでしょうか。あと問題をとくときのコツなどあれば教えて下さい!

るようなすぐれた研究者の判断に任せる姿勢が大切で あると思います。 私たちは教科書や専門書に書かれていることは正し いと信じてしまいがちですが、科学の仮説は長い時間 の中で批判に耐え、適応度を上げていくものです。 こ のように、科学の知見は不動の真理でないことを理解 した上で、科学に接していく必要があると思います。 分 四 次の漢文(書き下し文)を読んで、あとのから四までの問いに答 えなさい。(本文の の左側は現代語訳です。) オ (Eさん) I 皆悪ぢ とあるが、虞との人がそのような気持ちにな として最み せいはくひそか 西伯陰に善を行ふ。諸侯皆来たって平らぎを決す。 是に於 人知れず 公平な解決をつけて もらった 周辺の国 の君主が あた すなは いて虞の人、獄有りて決すること能はず。乃ち周に如く。 訴訟が起きて裁決がつかなかった そこで周へ行った さかひ 界に入るに、耕す者皆畔を譲り、民の俗は皆長に譲る。 虞・ 国境 人々の風習は年長者を 尊重するものであった の人、未だ西伯を見ざるに、皆相謂ひて曰はく、「吾が 恥じて互いに言うことには 争ふ所は、周人の恥づる所なり。 何ぞ往くことを為さんや、 どうして (西伯のところへ) 行く必要があろうか 2 まこと はち つひかへ とも 紙に辱を取らんのみ。」と。遂に還り倶に 去る。 そのまま引き 返し 諸侯之を聞きて曰はく、「西伯は蓋し受命の君なり。」と。 思うに天から使命を 受けた君主である ( 『史記』による) (注) 中国の周王朝の基礎をつくった人物。 西方の諸侯の長。 =ともに、中国古代の国名。 =田んぼの中の小道。 〇〇〇 いま 西 たひ しう ここ ---------- (c) 愛知県 A '20年国語 問題 (7)

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解説お願いします!!

筆者は一年前、俳句の話をしてほしいと依頼され、 大分県の国東中学校 に行った。そのことを回想している文章である。 待っていてくれたのは、やがて閉校になるという国東中学校の三 年生一同。講堂にきちんと方形に並べたいすに行儀よく座り、目を きらきらさせている。 俳人が集まると、教科書の俳句がおもしろく て俳句を始めた人がいたらお目にかかりたいね、などという。 もと より Aはおもしろい。だからみんなでAを作ろう」 てできるようなものでもない。それより、彼らの身近にある「俳句 の素」について話すほうがよさそうだと思い、たまたま教科書に取 り上げた どの子にも涼しく風の吹く日かな という飯田龍太の旬の「風」の話を緒に、ありふれた観天望気のこ とや、ものの名前のことなどを話す。国東の天気に関することわざ だって、風や雨や雲の名だって、魚や草や木や虫の名だって詩にな る立派な言葉だ。言葉はだれの持ち物でもないのだから、自由につ かっていいのだなど、思えばたわいないことだが、いずれもが「俳 旬の素」になる大事だ。 一時間をこえる長い時間だったが、一人と してごそごそする生徒、私語する生徒がなく、うなずきながらオバ アチャンの話を食い入るように聞いてくれる。 いずれ彼らも 〈古池 や蛙飛び込む水の音〉や〈くへば鐘が鳴るなり法隆寺〉を覚える ともなく覚える日がくるだろう。それと同じようにどの子にも涼 風の吹くかな〉を覚えればそれでいい。 覚えただけで終わっ てもいいし、深入りする生徒がいても、それは B 。 国東中学校は平成二十一年の春をもって閉校。 私が会った生徒た ちが最後の卒業生となったのだ。 卒業後、それぞれが大人への道を 歩きはじめる。 高校への首尾はどうだったのかな、だれか漁師さん しゅび になって魚好きのために漁労の専門家になってくれないか、などと 思いをはせていた三月半ば、「国東市立国東中学校」 の大封筒でずっ しりと手に重い郵便物が届いた。なんと卒業生全員からの手紙と、 全員の写った写真である。先生からの添え書きに「生徒が作りまし た」とある。韻文へのしっかりした考えを述べたもの、俳句を作り ましたというもの、レポートのようなもの、近況報告や国東の産物 を紹介した内容など、二つと同じものがないという手紙の束である。 ぼく 中に「うちでは椎茸をつくっています。 僕は椎茸が嫌いですが、 先 生は椎茸を食べてください」というのがある。 山間から海辺の学校 に通ってくる生徒だろう。「俳句は嫌いですが、 宇多先生は好きです」 というのもある。アリガトウと大声で返答をする。 こんなのもある。 「僕は本を読んでいます。 それがとてもおもしろいです。 先生にも、 ぜひ本を読むことをおすすめします」。 いいではないか。 言葉でつ づったおせじはたちまち見通せるが、彼らの手紙にはそれがない。 文章力や字の巧拙などには関係なく、相手に何か伝えようという達 意の域に達した、またとないいい手紙ばかりである。「俳句の素」。 の何かが伝わっていたのだと思い、じわっとしたうれしさが心身に 広がる。 どの子にも涼しく風の吹く日かな〉とは、こんな日の彼らに吹 く風のことだ。 家庭環境も違えば、それぞれの能力も体力も個性も 違う。やがて全員が同じ風を受けているということができなくなる。 日がくるだろう。昨秋の拙作に鰯雲自愛せよ中学生諸君〉がある。 願わくは、世の中学生の未来に、狂いのない風が吹きわたるように。 この国の四囲の海の魚に、狂いのない四季の巡りがもたらされるよ うに。 今、そんな思いばかりが去来する。 (宇多喜代子 「中学生諸君」 愛知県一改) 緒に......はじめに。 観天望気······現在の空の状況を観察して、今後の天気を予測すること。 首尾...... なりゆきと結果。 漁労...... 魚類・貝類・藻類などの水産物をとること。 上手なことと下手なこと。 出典は、「日曜日の随想2009」 日本経済新聞社編 日本経済新聞出版社)による。 いいだすた ら二字 しいたけ たの 3 E ア ウ LC

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