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歴史 中学生

平和と民主化への動きという単元です。 写真の赤線部分で、「アメリカは日本との講和を急ぐようになりました。」とありますが、これはなぜですか?

と, アメリカ 髪の広がりを 日本に対 けいざい 経済復興 かで,政 5 た。 この ジェイアール JR) な 9 きなわ 沖縄の オス・ 9か国に対しても、無償経済協力 した。 また、 ラ 権と国交の回復 メリカは, 日本との講和を急ぐようにな よしだ しげるないかく ありました。 これを受けて, 吉田茂内閣は, 1951年,講和会議で、ア ようやく 26 条約を結びました。 つ最終的に解決されたことになる ことを確認しました。 しかし、戦争被害者個人に対する 補償は別であるとして、その後、日本だけでなくアメリ 力でも、補償を求める訴訟がたびたび起こされています。 メリカ・イギリスなど48か国とのあいだに, サンフランシスコ平和 へいわ きんちょう 朝鮮戦争でアジアの緊張が高まると, ア こうして日本は, 独立国としての主権を回復しました。 しかし おがさわらしょとう 沖縄と奄美群島,小笠原諸島は,引き続きアメリカに占領されたま にちべいあん までした。 また,平和条約と同時に, アメリカとのあいだに日米安 ぜん ほしょうじょうやく にちべいあん ぽじょうやく 全保障条約 (日米安保条約)が結ばれ, 独立後もアメリカの軍事基地 が日本国内に残されることになりました。 はとやまいちろう にっ きょうどうせんげん 1956年には、鳩山一郎内閣が日ソ共同宣言に調印してソ連との国 りました。 →P.265 こくさいれんごう かめい 交が回復し、同じ年に、国際連合にも加盟しました。 しかし、北方 3 5 サンフランシスコ平和条約 第1条 連合国は、日本国とその領水に 対する日本国民の完全な主権を認 める。 第2条 しょうにん 日本国は、朝鮮の独立を承認し へんかん ていけつ 4島の返還が合意されなかったため,平和条約の締結はできません でした。また、中華人民共和国との国交正常化は,1972年までかか 会議で、日本の せいきゅう 朝鮮に対するすべての権利と請求 ほうき 権を放棄する。 日本国は、台湾・ ボンフー ちしま かくとく からふと 澎湖諸島に対する権利と権限を放 棄する。 日本国は、千島列島と ポーツマス条約で獲得した南樺太 とこれに近接する諸島に対する権 利と請求権を放棄する。 ( 1952年4月28日発効, 一部要約) ほっぽうりょう どくなり はぼまい えとろふ 3日本は北方領土 (国後島 択捉島・歯舞群 しこたん 島・色丹島)は日本固有の領土であると主 しましたが、ソ連は応じませんでした。 北 領土問題については、現在も, ロシア追 (P.267) と交渉を進めています。 こうしょう 学習の確認と活用 えいきょう

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