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自らの考えを●人工知能との未来
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人間と人工知能との関わりについて述べた二つの文章を読み、自分の考えをまとめよう。
筆者 羽生善治 一九七〇(昭和四五)
出身。将棋棋士。
埼玉県
よしはる
人工知能との未来 我生 許海
著書 「大局観」、共著「人工知能の核心」など。
出典 本書のための書きおろし。
人類はその長い歴史の中て、「高い知性をもっているの
は人間だけ」という環境を前提として生きてきました。し
かし、今や「人工知能は人間を超える知性だ。」とか、逆
ば大きいほど有利で、マイナスに大きければ大きいほど不
利となります。この評価値は極めて有効に働くため、現在
はプロ棋士が参考にするようになっています。しかし、膨
に「人間にはてきるが人工知能にはてきない。」などの、
さまざまな言説が飛び交う時代てす。人工知能が社会に浸 s
大な情報をどのように処理してその結論に至ったのか、人」
間にはわからないのが現状です。社会が人工知能を受容し 。
透し始めた今、それに人間がどう向き合うかが課題となり
ていく中で、意思決定の過程がプラックボックスになるこ
ます。
とには、多くの人が不安を覚えると思います。
興味深いのは、現在、人工知能を搭載した将棋ソフトと
もう一つ、将棋ソフトを使う棋士の間でいわれるのは、
人工知能には「恐怖心がない」ということです。人工知能
はただただ過去のデータを基に次の一手を選ぶため、人間 "
てあれば危険を察知して不安や違和感を覚えるような手で
も、平然と指してきます。私たち棋士は、そこに恐怖を感
人間の棋士との間て起きている事象が、今後の社会の在り
方を先取りしているように思えることです。そこて私は、
棋士が直面している違和感から話を始めたいと思います。
一つは、人工知能の思考は過程がブラックボックスに
なっていることてす。将棋ソフトは、過去の膨大なデータ
を基に、目の前の局面が有利か不利かの形勢を判断する、
じるのです。これを、例えば人工知能口ボットに置き換え
てみると、どうてしょう。安心感や安定感など、人間が無
評価値とよばれる数値を出します。数がプラスに大きけれ ゅ
意識に求める価値や倫理を共有していない相手と、安心し ゅ
て社会生活を営めるものてしょうか。私には正直、確信が
とって大きな力となるはずてす。将棋ソフトは人間が考え
もてません。
もしない手を指すと述べましたが、それは、自分の視座が
膨大なデータと強大な計算力で最適解を導き出す人工知
能。それに対し人間は、経験からつちかった「美意識」を
変わるような見方を教えてくれるということでもあります。
「自分はこう思うが、人工知能はどう判断するのか。」と、
あくまでセカンドオピニオンとして人工知能を使っていく s
働かせて物事を判断しているといえます。人工知能が社会 s
のあらゆる場面て意思決定に関与するようになれば、人間
の「美意識」にはとても受け入れがたい判断をすることも
あるでしょう。また、将棋ソフトの評価値が実はそうてあ
道もあるてしょう。また、人工知能が出した結論を基に、
それが導き出された過程を分析し、自分の思考の幅を広げ
ていく道もあるはずてす。人工知能に全ての判断を委ねる
るように、人工知能の判断が常に絶対的に正しいわけても
ありません。つまり、私たち人間は、どこまで評価値の判
のてはなく、人工知能から新たな思考やものの見方をつむ
いていこうとする発想のほうが、より建設的だと思います。
実際、将棋界では既に、人工知能が提示したアイデアを
参考に新しい手が生み出されたり、そこから将棋の技術が
進歩したりするケースが多く起こっています。人工知能に
断を参考にするかまで含めて、選択肢を考えていくことが
必要になります。そして、このような判断力は、普段から
自分で考えることてしか、養われないのてす。
人工知能が浸透する社会てあっても、むしろそのような一
社会だからこそ、私たちは今後も自分て思考し、判断して s
よって人間の「美意識」そのものが変わっている顕著な事
例だといえるてしょう。人工知能が学習するいっぽうて、 "
いく必要があるといえます。人工知能への違和感や不安を一
拭い去るのは難しいことてすが、このような社会の到来が
避けられない以上、人工知能をいわば「仮想敵」のように
人間の側も人工知能から学ぶ。人間と人工知能が共に生き
る時代の、新しい関係がそこにあるように思います。
位置づけてリスクを危恨するより、今後どのように対応す
るかを考えていくほうが現実的てはないてしょうか。
さらにいえば、人工知能は、うまく活用すれば人間に
e将棋ソフト= コンピュータを使って将棋の対戦や分析などがてきるプ
ログラムのこと。将棋AIともいう。
のプラックボックス=内部で行われている処理などが明らかてないこと。
@セカンドオピニオン=よりよい決定をするために求める、第二の意見。