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国語 中学生

(7)を教えてください。

一般的に、知能は獲物を追ったり、配偶者を求めて動きまわる 動物だけに発達した特性であり、自ら移動できない植物には知能 が発達しなかったといわれている。このようにいわれれば、知能 を持たない植物や微生物より、知能を持った動物の方が偉そでうに SS Aに 思えるのも仕方がないだろう。 しかし、本当に、植物には知能が「発達しなかった」のだろう 植物は、光合成,つまり環境から炭酸ガスと水を取り込み、 太陽エネルギーを使って、自分が生きていくために必要な栄養 ((食物。)、具体的にはブドウ糖と酸素を生産できる。つまり、植一 物は、“独立栄養生物,であり、「他者」の「世話」にならずに生 きていけるのである。 ところが、動物は、自分が生きていくために必要な食物を自分一 自身で生産することができず、食物を植物や他の動物に依存しな一 ければならない従属栄養生物,である。このような動物は、必 然然的に、食物を見つけるために動きまわらなければならず、絶え ず、外界、他の動物との衝突や摩擦が避けられない。つまり、従 属栄養生物。である動物には、常に意識的行動が必要下あり、生一 存のためには、感覚、知覚、反応のための神経系と認識パンダン 選択のための人ウを発達させなければならなかったのである。独 立栄養生物,である植物は「移動できない」のではなく、生きて MO がって、動物のように衝突や摩擦を避けるための知能のようなも のを発達させる必要などなかったのである。 もちろん、植物が持っている極めて高度な能力や知恵のことを一 考えれば、植物が「知能」を持っていないとは考えられない。植」 物は、動物の知能のような「処世術」的知能を持っていないので あって(持つ必要がないから)、植物は自ら潔く、孤高の生活を送 るための知能を持っているのである。 自然生態系の中で、生物類のっはたらき。という側面から見れば、 植物類は “A」、動物類は 存在ながら忘れてはならないのが微生物類で、彼らは、すべての一 生物の生産物、排出物、遺体などの有機物を分解して、すべての一 生命にとって不可欠な無機物に還元する d- れにせよ、動物が生きていくためには、 A]である植物と である。また、地味な である。いず である微生物に頼らなければならないのである。 もし、人類が最も知能が発達した生物なのであれば、それは、 人類が最も知能を発達させなければならなかった結果である。つ まり、この地球上で、人類が最も従属性が高く、最も「処世術」 的知能を持たなければならない生きものであるということであろ J このように考えれば、私は、人類はD、動物が植物より「偉 い」なんて、甚だしい誤解、甚だしい認識不足だった、と恥じ入 らねばならない。 (志村史夫「木を食べる」より) トGで いくために、動物のように動きまわる必要がないのである。した」

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国語 中学生

この文章のXにはどれが入りますか…??? それと問3と問4も教えてください🙇‍♀️

」次の文章は、中村雄二郎の『衛語集』〈印病い)の全文である。これを読んで、後の問いに答えなさい。 今日、健に対する人々の関心は驚くほど高い。異常といってもいいほどである。そのことはいろいろなかたちで表れてい る。たとえば、既成の錯分野の雑誌の多くが人々を惹きつけるテーマを欠いて困っているなかで、健康をテーマに“カカげ た雑誌はいくつも出て多くの読者を得ている。またデパートやスーペーマーケットなどに行くと、健康食品と銘打たれた特 別コーナーがしつらえられている。ふつうの死場のものは不畑康食品になりかねないように。他康幻趣とでも宮おうか 一般に人は、健康なときには自分の身体のことも健康のことも意識しないものであり、それを意識するのは、身体の不調な とき、〈病気》になったときである。だから、現在のように健康がことさらに強調され、主題化されているのは、 口というより、病気への適切な対し方が分からなくって、病気をただ怖れる気持がつよくなったからだろう。 人間は、きわめて複雑な仕組みをもった生命有機体であり、精神=身体的存在である。だから、その働きに故障が起き不調 に悩まされることはいつの時代にもあったし、いつでも病気は怖れられた。ただ今日違うのは、かつてのように病気が私たち の生活や経験の一深ではなくなって、もっぱら医学的治寮の対象になったことである。つまり病気は、客観化できるかぎりの もの、抽象的なものとして扱われるようになったわけだ 病気と裏表の関係にある他康ということばが今日ひどく空々しく、つくりものじみて聞こえるのはそのためであろう。現 在では、病気は、人々の間で医学知識が増え、進んできたのに、いろいろなかたちで畿われて、その本来の姿が大そう見えに くくなったのである。しかし、どうして病気は、私たちの生活や経験の一環でなくなり、医学的治療だけの対象になったのか その理由として考えられるのは、なによりも、近代医学が中川米造氏(「二十一世紀の医療を担うためにー医者の五つの N 顔」ー九八三年)の言う、 は四つの顔があった。魔法医、学者 (識の伝承者)、科学者、技術者の四つがそれである。これらのうち魔治優というのは アフリカやインドドの文字通りの魔法医のことだけでなく、患者に対して権威的かつ神秘的に演ずる医者一般の一面をも指して 学者の医学、按術者の医学になったことであろう。中川氏は述べている。これまでの医者に

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