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て、帰り登りにけり。
田舎には、この人を失ひて、父母妻子ども、みな肝心をまどはし、当国隣国いたらぬ隈なく、足手を分かちつ
つ尋ね求むれど、いづくにかあるらん。「たとひ命尽きて空しきからとなりたりとも、今一度そのかたちを見
ん」と嘆き悲しむさま、ことわりにも過ぎたり。はてには、国の中ゆすりみちて、見聞く人、涙を落とさぬはな
かりけり。
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とかくいへど、かひなくて月日を送る間に、世の中に隠れなければ、ほどへて後なん、出家せしこと聞こえた
りける。つひに、「*高野にこそ住む⑥なれ」と聞きて、泣く泣く消息しけり。「さしも浅からず思ひたりける道
なれば、そむかん事はいふにも及ばず、 文一つだにも書き置かずして、 空しく親の心をまどはせる事なん、いと
うらめしけれど、さていかがはせん。心をへて思ふには、また、罪さり所なきにしもあらず。この国にも山寺多
かり。近くてだに聞かまほしきを、かくして雲を隔てたるさかひにかけ離れたる事こそ、いと本意なく」など、
さまざまに書きやれど、間さらになびくにもあらず。
かねて父母なん、わざと京へ上りて、高野の麓に天野といふ所に詣でて、そこに呼び出だして、対面したりけ
る。その時、心の中間 おろかならんや。若く盛り◎なりしかたちは、見しものともなくやせ黒みて、ほろほろと
ある布小袖など、昔かりにだに見ざりし姿なれば、目もくれ、胸もふたがりて、とみに物言はれず。【とばか
り】 ためらひつつ、さまざま日ごろ思ひつめたる事ども、泣く泣く知らすれども、②【はかばかしく】物も言は
ず。ただ、「この山へまかり入りし時、また帰り出でじと思ひかため侍りしかど、いとまを申さずして家を出てて
侍りし事の罪さりがたくて、また立ち戻り候ひつれども、あらぬ心にて、かく出で侍るなり。今より後は、たと
ひ御尋ね候ふとも、いささかもこれまで出づる事つかまつるまじ。されば、今はこればかりなん限りにて侍るべ
し。我を見まほしく思さば、心をおこして仏道を願ひ給へ。この世にては、たとひ思ふばかりそひ奉りたりと
も、いつまでか見奉らん。我も人も後れ先立つ習ひ逃れがたければ、せんなく侍るべし」と③ 【つれなく】 答へ
妻はそこまで登りけれど、面を向くべくも覚えざりければ、物のはざまより、わづかにのぞきて、忍びもあ
ずよよと泣きけり。父母、姿を見ざりし時よりも、なかなか悲しく覚えて、泣く泣く帰り下りにけり。
(注)*l:高野・・・・・・高野山真言宗の総本山であり、修行の地であった。