1859年に横浜(長崎、函館)で貿易が始まったことにより、商人は江戸ではなく、横浜で商売をし始めました。その結果、商品が来なくなった江戸は物価が上昇しました。そこで幕府は「五品江戸廻送令」をだし必ず商品を江戸の問屋を経て輸出するようにさせることで、物価の抑制を図ったのです。
回答
疑問は解決しましたか?
この質問を見ている人は
こちらの質問も見ています😉
おすすめノート
第1講 旧石器・縄文・弥生
10376
70
第2講 ヤマト政権と古墳文化
7141
28
第4講 奈良・平安時代(平城京と平安京)
6576
14
第3講 律令国家の形成
6218
6
第5講 摂政政治と院政
6121
19
第7講 室町幕府と中世の社会・経済
5566
6
第6講 鎌倉幕府の展開
5549
9
第9講 江戸幕府の成立と外交
5286
10
第12講 開国と幕府の滅亡
5250
7
第13講 明治維新と自由民権運動
5132
8
※函館→箱館