✨ ベストアンサー ✨
戦前、田河水泡のノラクロが漫画の代表だった時代がありました。
次が、手塚治虫。ストーリー重視のほか、作画にも新鮮な技法が使われていました。旧来は、舞台劇のイメージで、動きは横移動。手塚は、奥のほうから手前に向かって来るような絵を描いた。
手塚の作品を見て「こうゆう漫画は君だけのもので止めて欲しい」といったベテラン漫画家が、田河水泡だと伝わっている。
田河は、戦前の少年倶楽部をメインに書いていた。新兵だったノラクロが、毎年昇進。これ以上偉くはできないということで、大陸へ渡っていろいろ活躍するところで中断。終戦後、進駐軍の許可が下りるような漫画ではないので、再開はかなりの年月がたってから。
教科書というか、教育委員会の類は、漫画は評価したくないって傾向が強いです。
そうなんですね!
印象に残る説明でとてもわかりやすいです。
ありがとうございます🙇♂️