古文
高校生

大和物語にでてくる
「かくれにし月はめぐりて出でくれどかげにも人は見えずぞありける」
の歌の、“かげ”は「月光」と「妻の姿・面影」の掛詞で、「妻の姿・面影」は理解できましたが、なぜ“かげ”なのに「月光」なのかが理解できません。
解説をお願いします<(_ _*)>

回答

こんにちは。

光によって影はできるから、
光のことを影と呼んだ、
と習いましたが実際のところはどうなんでしょうね?
そういうことにして覚えましょう、ということだったのかもしれません。

nor

その後調べてみたところ、
「影」という言葉はもともとは
我々が思う「光」のことも、
またそれによってできるものとして
我々が思う「影」のことも表したようです。
だから「月影」のみならず、
日光を表す「日影」という言葉もあるそうです。

ちなみに古語における
「光」という言葉は、
もともとは稲妻のような
瞬間的に輝くものを指し、
後に太陽や月など継続的に輝くものも
含むようになったらしいです。

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日本には月影という言葉で月明かりを指す言葉があります。

原義はどういうことなんでしょうね。
おそらく、暗い中に指す光が日の中にできた影と対比して月影と名付けたのかもしれません。

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