日本史
高校生
解決済み

【金融恐慌について】
Q. 金融恐慌時、なぜ政府は台湾銀行を救済しようとしたのか
Q. 若槻礼次郎の出した緊急勅令案は枢密院で否決されたのに、田中義一の時は可決されたのはなぜか

が分かりません…教えて頂けると嬉しいです😔

金融恐慌 田中義一 若槻礼次郎 台湾銀行 鈴木商店 枢密院

回答

✨ ベストアンサー ✨

・台湾銀行は日清戦争で得た植民地である台湾の主要な銀行、言い換えれば"日銀"のような役割を台湾で果たしていた銀行です。鈴木商店に多額の融資を行なっていたのですが、戦後恐慌や関東大震災によって鈴木商店は破産寸前になっていきました。このことによって、台湾銀行も潰れてしまいそうになりますが、台湾銀行が潰れてしまうと植民地台湾の経済が悪化してしまいます。なので、救済しようとしました。
・若槻の時の外相は幣原喜重郎でした。幣原はアメリカと協調しながら、中国の内政不干渉とする外交方針で"協調外交"と呼ばれていました。枢密院はこの幣原のやり方が気に入らなかったので、緊急勅令を認めないことで若槻内閣を解散させ、幣原を外相から外そうとしたのです。

長文かつ読みづらくて、すみません🙇‍♀️
わかりそうですか?

m.

丁寧な解説ありがとうございます!
スッキリしました☺️

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回答

鈴木商店という大きな店のメインバンクだったから。
否決されたのは若槻に対する嫌がらせです。
若槻は枢密院メンツに嫌われていたので。
確か外交の仕方に不満だったんじゃ?

m.

ありがとうございます☺️

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