古文
高校生
解決済み

以下、保元物語の一部です。

禅定殿下は、「頼み奉りつる左府はいふにかひなくなり給ひぬ。御形見とて【御覧ぜ】られつる御孫の君達は、皆散々になり給ふ。うき世にながらへても何かはせん」と御心細く思し召し沈ませ給ひけるが、…

【】の部分なのですが、訳は「私(禅定殿下)に御形見として【世話をされていた】…」となっていました。解説には「【御覧ず】は形上「見る」の尊敬語になっているが、ここでは敬意を含まないように訳出し、後続する「らる」も尊敬ではなく受身で訳す」とありました。

①なぜ【御覧ず】は尊敬のニュアンスをとっぱらって訳出しなければならないのか
②なぜ「らる」は尊敬ではなく受身で訳すのか

この2点について教えてください。よろしくお願いします。

保元物語 古文

回答

✨ ベストアンサー ✨

御孫の君を世話していた禅定殿下自身の台詞で、主語が自分だからへりくだった感じを出すんでしょう。現代語で「私は召し上がりました」とか言ってたらおかしいでしょう?2番目も同様で、自分が主語なのに尊敬の助動詞をつけるわけないですよね。

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