回答

邪馬台国連合とよばれている政治連合は教科書には「邪馬台国を中心とする29国ばかりの小国の連合」とあります。魏志倭人伝の記事を見ると邪馬台国連合の国々の中で、伊都国には「一大率」という諸国を検察する官が置かれて諸国がこれを恐れているとあります。この伊都国は九州の糸島にあったとされています。ということは、邪馬台国連合のなかには九州にあったことが確実にわかる小国があるので、もし卑弥呼がいたところが畿内であれば、畿内から九州に及ぶ広い範囲の政治連合であることがわかります。

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古墳出現期の古墳は前方後円墳であり、前方後円墳はのちのヤマト政権の墳墓であり、それらの中でも築造年代が古いものは、纏向に多いです。このことから、纏向が前方後円墳、ヤマト政権の発祥の地と考えられています。
また、出現期の前方後円墳は、奈良県に最も集まっており、九州北部にまで広がっています。
これらのことから、奈良県を中心とし、九州北部に至る広範囲の政治連合が形成されていたことがわかります。

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