✨ ベストアンサー ✨
領事裁判権を認めたことのより、外国人が日本で犯罪を犯しても、日本人が裁くことができなくなってしまいます。
実際に起こったことでわかりやすいのが、ノルマントン号事件です。これは、イギリスの船が沈没してしまった事件なのですが、この時、イギリス人の船長は乗っていた日本人を海に置き去りにして、逃亡してしまいますが、大した罪の問われませんでした。これを受けて、日本でも、領事裁判権の撤廃を、より、主張する人が増えました。
長くなってしまいすみません💦
もし時間があれば、明治初期の日本の対東アジア外交と対欧米外交とではどのような違いがあったのかいちごさんの考えで大丈夫なので教えてくださると嬉しいです🙇♀️
私も理念という観点ではあまり分からないのですが、
欧米にはあくまで、不平等条約の撤廃というのを1番の目的としていたはずです。だから、日本は欧米に追いつくことを目標にしていたのではないでしょうか🤔 東アジア外交では、清とは同等、朝鮮とは、日本が優位という形での外交だったと思われます。特に、朝鮮とは、「征韓論」の広まり・江華島事件・日朝修好条規のように、日本が欧米から押し付けられた不平等条約をそのまま押し付けたといったイメージなのでは…
曖昧な説明になってしまいすみません💦
すごくわかりやすいです✨
ほんとにありがとうございました🙇♀️
とても詳しくてわかりやすかったです!
ありがとうございました😊