古文
高校生
解決済み

「大鏡」の「雲林院の菩提講」の敬語についての質問です🙇‍♀️

繁樹「己は、故太政のおとど貞信公、蔵人の少将と【申し】し折の子舎人童、大犬丸ぞかし」

この【申し】は模範解答では「謙譲語・夏山繁樹から貞信公への敬意」となっていました。
授業ノートにもそう書いてあったので、それが正解なのだろうと思うのですが、どうしてそうなるのかわかりません😢
【申し】たのは貞信公ではないのですか?
この文の為手と受手も教えてほしいです🙇‍♀️🙇‍♀️ 

回答

✨ ベストアンサー ✨

地の文の時(普通の文章)
尊敬語
作者→何かする人(動作主)に対して
謙譲語
作者→何かされる人(受け手)に対して
会話文中
尊敬語
話し手→何かする人(動作主)
謙譲語
話し手→何かされる人(受け手)
基本はこれですが自敬表現もあるので注意は必要です!
この場合申すは謙譲語なので話し手から申し上げられてる人に敬意が向きます
なので話し手繁樹から申し上げられてる人貞信公です。
ちょっと分かりづらいですが貞信公が蔵人の少将と呼ばれていた〜となるので呼ばれていた人が貞信公になります。
上の関係を覚えるのも大事ですが敬語の意味に加え尊敬語なのか謙譲語なのかも覚えておくのも大事です!

ぽんず

丁寧に教えてくださりありがとうございます!!すごくわかりやすくて一気に疑問が解けました!!
本文には受け身の要素はないけど、文脈上受身という判断で「呼ばれていた」と解釈すればいいってことですね!考え方の枠に捉われすぎず、柔軟に考えられるように頑張ります💪ありがとうございました!!

朝ごパン

記述じゃなければ甘々でも意味が取れれば大丈夫です笑
確かに受け身がないので呼ばれたですかね?
現文の方が苦手で呼ばれていたが受け身なのかどうか分かりませんが笑

ぽんず

確かに微妙ですね笑
He was called “蔵人の少将”って考えれば受け身ですかね?とりあえずテストは文脈上受身っていう解釈で行きます!笑
ありがとうございました!

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