古文
高校生
解決済み

古文です
(この参考書「古文解釈の方法」の一連の説明がよくわかりません)
低める意識は話してと主体とが同一の場合となった時に結果的に生じたものであるとは、、?
教えてください

てある。これと同じことは丁寧語についてもいえる。 丁寧語が存 在するということは、対者を意識しているということであるから、会話体の文章といえる 。 尊敬語が主体を敬い、丁寧語が対者を敬うということについては説明にゆれはないが 、謙譲語について いうことばにひかれて、動作主がその相手に対してへりくだると説明しているものもあった。動作主を低めれば、結 は、謙譲と AllANN 159 第五講 敬語
以上のことを図示すると下図のようになる。 となった時に結果的に生じたものである。 らない。低める意識は、話し手と主体とが同一の場合(換言すれば、主体が一人称〈私〉) ということも考えあわせると、謙譲語は、話し手(書き手)が客体を敬うと考えねばな また、敬語を含めて、どんな語を使っていくかを決めるのは、話し手(書き手)である という例も考えてみると、帝と詮子のどちらが客体となっても、謙譲語を用いている。 (女院詮子が、帝ニ) 「………..」と聞えさせ給へば、 また、ここのすぐ後にでる、 とあるように、絶対の存在で低めていうことなどできない帝の動作に謙譲語を用いたり、 上(=一条帝)、常よりも(ソノ母ノ女院詮子との別レヲ)いみじう惜しみ聞えさせ給ひ 話題 果的にその相手に対して相対的な敬意を表せそうだが、古典の例では (栄華物語 鳥辺野) <主体 > 尊敬語 話し手 (書き手) 謙譲語 対者敬語 ( 丁寧語ナド) <客体> 〈対者〉 聞き手 (読み手) ・場 160

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