現代文
高校生

夏目漱石の「こころ」で
私は鉛のような飯を食いました。
の部分で私は罪悪感と不安という気持ちがあると学校で習ったのですが
前文を見てみると
私はきっと良心の命令に従って,その場で謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い止められてしまったのです。そうして悲しいことに永久に復活しなかったのです。
とあり
罪悪感は鉛のような飯を食っている時にはないと思うのですがどうしてあるということになるのでしょうか。

誰かお願いします😭

回答

_罪悪感と言うものは、謝罪とは関係なく、生じるものです。
_寧ろ、罪悪感なくても謝罪する人の方が多いのではないでしょうか?損得を考えて謝罪する人の方が多いのではないでしょうか?

_そして、特に日本人は、誤ったのだから、幾らかは許して貰えて当然、と思っている人の方が多いと思います。
_詰まり、罪悪感が元からあれば、謝罪した方が多くの人は罪悪感は軽減されるのです。謝罪しなかった方が罪悪感が大きくなるのです。謝罪するべき事が、出来なかった事で罪悪感が増えるのです。

_多くの人にとっては、そうですが、全ての人がそうである訳ではありません。
_仮に、カホランデル さんがその様な考え方は分からない、と言うことであれば、多くの人はその様に感じていると言うだけです。

クリスタル

なるほど。
罪悪感はあるけど謝罪しようという思いは永久に復活しなかったということですか?!

ぺんぎん

_謝罪しよう、と言う気持ちはあるけれども、出来ないのでしょう。
_時代背景も有ります。謝る、と言うことが、言い訳の様に受け止められる。男は、黙って全ての状況を受け入れるべき。その様な同調圧力がある訳です。
_現在でも、男性の自死数は、女性の2倍近いです。女性は守られるべきもの、との同調圧力があり、女性は貧困・困難に陥り易い事実はあっても、社会適切セーフティー・ネットにより援助され易い訳です。現在ですらそうです。
_Kが何も言わずに自死したことも、その様な時代背景と同調圧力があり、選択したのです。当て付けとかでは有りません。
_謝ろう、と言う思いは何度も起こり、その度に謝罪出来ない結果に、罪悪感が上積みされて行ったのでしょう。

ぺんぎん

_実社会での話しですが、他の人が何かをした、しなかった、と、言う事実はあっても、その理由に関して、その人がこういう考え方をしているから、こういう行動になった、と決め付けることは、避けるべきです。
_そして、カホランデル さん自身も、感情・思考とは別に、心的態度(メンタル・アチチュード)と言う物をコントロールする事を考えるべきです。
_感情・思考は、思春期を過ぎれば、その傾向・特性を変える事は出来ません。しかし、心的態度(メンタル・アチチュード)は、幾つになっても(痴呆症とかの脳疾患がなければ)変える事が出来るのです。

クリスタル

詳しい説明ありがとうございます😭😭

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