現代文
高校生
解決済み

国分功一郎さんの消費と浪費の違いという文なのですが、第五段落の意味がよくわかりません。
シャーペンで線を引いてある部分が消費社会において商品から記号を受け取ることを通して得る「贅沢」はおかしい!(=贅沢批判)と解釈したのですが、そうしたときこの贅沢批判の問題点〜と続く意味がわからなくなってしまいました。
右下の読解のポイントを見ても贅沢批判と消費者の中に贅沢などない。というのが反対みたいな表し方になっていますが、私の解釈の仕方だと同じまでは?と思ってしまっています。

しっかり理解したくて、どなたかお願いしたいです。

消費全しおいて商 第7章 現代 2 部誕6ャンム 消費と浪費の違いー|画分功一郎 「民主主義を政感するために」 a" 記号 を消費するとはどういうことだろうか? たとえばどんな食事でも食べ られる量は限られている。しばしば腹人分が勤められるがたまには復一杯、十二 ホ YSeのだ。これが護費である°察は に創会 もたらし、 そし P-リ条PKトップする。 閣では消費とは何か?_グルメブームというものを思い起こして欲しい。ある店」 館 が美味しいとか、有名人が利用しているなどと宣伝されると、その店に人が殺到 する。もちろん「あの店、行ったことがあるよ」と他の人に言うためである。そ JP Rめに他の空が されれば、今度はそこに行かねばならなSS だ。こうやって「おすすめ」の店を延々と回り続ける人々が受け取るのは、「そ の店に行ったことがある」という意味である。店は完全な記号になっている。そ JP がで°るの足をもた い 号の消費はいつまでも終わらない。 別の例を挙げよう。現代では基本的に商品はどんなにいいものであっても、モ アルチェンジしないと売れない。推携帝獲話がいい例である。致年前の機種が今で も使えないわけがない。しかし、半年もたたないうちに「新しい」モデルが発売さ れる。なぜだろうか?人々はモデルなどみていないからである。「チェンジ」 ロ 係 再じ悪底か0Jい U246要 国 =警沢批判 JSや華撃-樹味だけを受け取ている°距車中人はモ(=中デル)を士 PPSRSPはない。 や配 (= 「ホHA た)を士盛ている。 日消費と浪費の違いは明白である。浪費は目の前にあるモノを受け取る。消費は モノに付与された意味,。観念 を受け取る。このことは 「消費社会 の魔法そのも のを説明してくれる。消費は満足をもたらさない。しかし消費者は足を求めて 消費している。消費しても満足が得られないから、更に消費を続ける。こうして、 消費と不満足との悪循乗が生まれる。二十世紀に爆発的に広まった消費社会とは この悪循環を利用したものである。消費しても満足が得られないから消費して e というサイクルをうまく利用することで、爽大な量のモノを売ることができ た。その結果、大量生産·大量消費大量投楽の経済が生まれた。 タバブル崩壊後に開後の竹の子のように現れた「豊かさ」論、そしてまた、ほと んどの消費社会奨判は、この大量生産·大量消費·大量投棄の経済を眺めながら、 その『沢」を繰強したものである。このような賛沢批判の問題点は明らかであ る。消費社会の中に糞沢などない。逆だ。消費社会とは我々から賢沢を奪うもの である。浪費家であろうとする我々を消費者に仕立て上げ、論足することが決し でない清費のサイクルに投げこむのが消費社会である。 「々から質沢を奪う」Jは、 梶段製聴いにいというJJ° 回以船e「悪載しても満足が 悪山にゆS世戦味や P 度関地撃山れないた (部田K) 徳線部のように言えるのはなぜか。わかりやすく説明しなさい。

回答

✨ ベストアンサー ✨

国語なので私の解釈が入るかもしれないですが、

まず「贅沢を糾弾(かな…)」するのがバブル後に発生した「豊かさ論」なのでバブル後に「贅沢」として扱われているものが悪い(=浪費)だと推測できます。
そしてこの線部の「贅沢」はバブル以前の贅沢(平安時代の人がかき氷食べたときいっぱい和歌作って楽しんだみたいな)つまり、満足をたくさん得られることを指した言葉です。
なので、消費社会の記号(ブランド)のある高いものを買った時の贅沢は本来の贅沢でないので消費社会は贅沢を奪っていると考えられます。

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