歴史
中学生

源頼朝が政治の拠点を鎌倉に置いた理由を教えてください

回答

鎌倉は北・東・西の三方を山・丘に囲まれており、南には相模湾が広がっている地形です。

このような地形は守りやすく攻めにくい地形であると言えます。

源頼朝が鎌倉を根拠地とした当時は平氏との戦いが多い時期でしたので、平氏に攻め込まれた場合を想定して自身の本拠地の防御を整える必要性がありました。

その点、鎌倉の地形は自然の要塞となっていたので源頼朝にとってとても都合が良かったのです。鎌倉の地は歴史の教科書では「天然の要害地」と表現されることがあります。

また、この土地は、元々源頼朝の先祖の土地であったことから縁のある土地でした。

地形から考えると源頼朝にとって好都合であった点は具体的には以下の通りになります。
有利な点
✔ 高い場所から敵を見渡すことができる。
✔ 複雑な地形を利用して待ち伏せをして弓矢を放ったり、攻撃がしやすい。
✔ 険しい山や丘陵があり、敵の軍隊の体力を減らす事ができた。
✔ 敵方にとって体力の回復に使う食料の補充をするには困難な地であった。
✔ 敵にとって不利になるような道を作りやすい。
✔ 山が急なので斜面を馬が通りにくい。
✔ 鎌倉の中心を流れる滑川を利用することで、生活用水や農業用水、木材を運搬する物資輸送に便利であった。

②東海道に近いことは交流にとって主要な場所

また、鎌倉という地は東海道に近く交通、商業、軍事などの面から重要な交流地点でもありました。

当時、山を最小限だけ切り取って鎌倉と各地を結ぶ道を作ったとされていますが、江戸時代には東海道は天下の街道として賑わいをみせました。

このことは、現在は国道1号線が東海道に沿って開通している様子からも想像できるでしょう。

③関東の武士の想いを汲んだ源頼朝

関東の武士の願いは「朝廷の干渉を受けたくない」という想い。

その想いを汲んで、源頼朝は朝廷のある都「京都」ではなく、離れた土地、関東で幕府を開きました。

武士の想いとは、具体的には以下のような内容だと考えられます。
武士の想い
✔ 自分の領地や新たに得た領地を認めてもらい、守り続けることができる
✔ 朝廷の役人に過剰な徴税をされないこと
✔ 貴族の護衛など無益な徴兵をされないこと
✔ 働いた分の正当な見返りをもらうことができる

頼朝は、この武士の望みを、次々と実行していきました。

④京都から離れることが目的だった

源頼朝が鎌倉に幕府をひらいた理由として、京都から離れることが目的であったとする説もあります。

その理由は主に以下の3つが考えられます。
京都から離れたい理由
✔ 京都には朝廷があるので源氏の敵が近くにいる可能性が高かった
✔ 京都では寺院が政治に関わっていたため、源頼朝の政治にも口出ししかねなかった
✔ 平氏がそうであったように、武士が貴族化して衰退してしまうことを恐れた

ネットからコピーしたのであっているか分かりません

れい

ありがとうございます!

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