応仁の乱とは
・畠山氏と斯波氏の家督争いがきっかけ
・将軍家の家督争いがおこった
・幕府の実権を握った争いが加わった(応仁の乱に発展した)
そして、実権を握った争いであるが故に各地の守護も権力を巡って応仁の乱に参加しました。
その間、それぞれの国の運営はどうするかと言うと部下である守護代や、有力国人に任せるわけです。
ここが下剋上が起こるポイントで、応仁の乱は泥沼化し、権力を狙って京都に来た守護達はなんの成果も得られず、疲弊して自国に帰ってくることになります。
すると、自国で実権を握っていた守護代や、有力国人は「今なら守護にも勝てるんじゃね?」と思うようになります。こうして下剋上の風潮が高まっていったのです。
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