回答

ざっくりこの辺の流れをまとめながら説明しますね。

江戸時代初期は利益のため貿易を奨励していました。しかし、キリスト教の影響が強まってくると、幕府はキリスト教を遮断するために貿易に規制をかけるようになります。
→キリスト教の頂点は神様。当時の江戸の身分制度を脅かしてしまいます。

まず、1612年に禁教令を出します。まだこの時は貿易をガッツリ行っており、海外との関わりが深かったので効果は薄かったです。
その後、1616年にヨーロッパ船の寄港地を平戸と長崎に限定します。
②→すべての外国船ではありません。中国船などは博多など他の港にも行けました。中国はキリスト教の布教を行いませんからね。

また、1623年にはイギリスが日本との貿易から撤退し、1624年にはキリスト教の布教が大好きであるスペインの来航を禁止します。そして、1630年代から本格的に鎖国になってきます。

1631年奉書船制度を始めます。奉書船というのは、老中から渡航の許可を得た船です。
③→つまり、日本から海外に行ける船は奉書船だけという事です。海外からの来航船には関係ありません。

そして、1635年には日本人の海外渡航・帰国を全面的に禁止します。また同年の武家諸法度で大きい船を作ることも禁止します。

1639年にはポルトガル船の来航も禁止し、1641年には出島にオランダ人を移住させます。出島にはポルトガル商館があったのですが、ポルトガルは出禁になったので、オランダが平戸から出島に移動する形です。
④→出島と中国船は関係ありません。中国は長崎市内にある唐人屋敷に限定されました。唐人屋敷とは、長崎市内にある中国人のお家です。

長くなりすみません🙏
分かりにくいところがあれは言って下さい🙏

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?