日本史
高校生
解決済み

平安時代 承和の変

承和の変
藤原良房が有力な橘逸勢と半健岑を配流して藤原氏の政力が上がった。

Q 1
良房は政力が欲しかったから、の理由だけで2人を配流したのですか?
 
Q 2
配流を簡単に教えてください

回答

✨ ベストアンサー ✨

Q1について、承和の変は藤原良房と仁明天皇による事件です。仁明天皇のときの皇太子は淳和天皇の子供の恒貞親王でした。840年、淳和天皇が亡くなると恒貞親王の地位が揺らぎます。自分の子を天皇にしたい仁明天皇は妻の兄である藤原良房とはかって、恒貞親王の皇太子の地位をはく奪し、仁明天皇の子である道康親王を皇太子としたのです。これが承和の変(842年)です。恒貞親王の地位をはく奪したのは、恒貞親王の側近だった伴健岑と橘逸勢が謀反を企て、その計画に恒貞親王が関与していたという理由です。しかし、無実の罪のようです。
道康親王はのちに清和天皇として即位します。藤原良房は清和天皇の母親の兄ですから、良房は天皇の外戚の地位を得ることになり、藤原氏北家の地位を優位を確立します。
Q2配流というのは、流罪になることです。律令制度のところで、律は刑法だと学んだと思います。刑罰には笞・杖・徒・流・死の五刑がありましたが、流罪は死罪に次ぐ重い罰だったのです。

とある美容学生

ありがとうございます!

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?