Japanese history
มัธยมปลาย
เคลียร์แล้ว

古代、中世、近世の関所についてです。

それぞれの違いを分かりやすく教えて欲しいです。
また、関所というのは、お金を払わないと通れないのでしょうか?

คำตอบ

✨ คำตอบที่ดีที่สุด ✨

間違えていたらすみません。
私の中での考えですが、

【古代】
古代律令制において、天皇の病状悪化・死去などの国家の非常事態時に、三関(さんげん)と呼ばれた国家が最も重視したとされる伊勢(現:三重県)の鈴鹿関、美濃(現:岐阜県)の不破関(ふわのせき)、越前(現:福井県)の愛発関(あらちのせき)の門を閉鎖して通行を禁止させました。

なぜこのようなことをするのか。

それは権力の空白に乗じて、中央に謀反者が出た場合に備えるためでした。謀反者が朝廷の軍事的基盤である東国方面に侵入して軍事力を確保し、反撃することを予め防止する目的があったとされています。つまり軍事的・治安維持的機能を関所は持っていたということになります。

以上を見て、古代の関所の特徴を、いくつか考えれば

・軍事拠点ともなる性格
・権威的な駅鈴などでの交通管理

簡単なところでは、上記2つあたりでしょうかね?

つまり、古代の関所って、もとは駅鈴などを持った、朝廷権威を示す者が、朝廷の命令を諸国に発する中間点。いわば拠点として作られていた。
そして、その朝廷の拠点は、軍事的な拠点とも理解されて行ったのだと思います。

【中世】
室町時代になると、権力者が関銭(せきせん)や津料(つりょう)と呼ばれた通行税を設定して徴収していました。これらの通行税は、権力者の重要な収入源となりました。そのため、積極的に関所を設定したのではないでしょうか。

しかし、なぜ戦国大名が関所廃止の方向に向かったか分かりますか。
戦国大名が支配する領国内に多くの関所があっては、商人らによる円滑な物資流通が阻害されます。物資のみならず、他の戦国大名の情報などをも運ぶ商人の往来が途絶えれば、領国内の経済的発展は望めません。

ですから戦国大名は積極的に関所を撤廃し、商人らの活発な往来を期待したのだと思います。

・中世では、経済的な面で関所が置かれた。

【近世】
江戸幕府ができたばかりで、まだ完全に徳川氏の支配が全国に及んだとは言えない状況の中で、いつ他の大名が徳川氏を裏切るかわかりません。つまり、下剋上がいつ起こるかわからないということです。

下剋上を未然に防ぐためにも、人質をとる必要性があったわけです。徳川氏への謀反が確認された場合、妻子の命はありませんよ、ということです。徳川氏は全国の大名を強制的にその支配下においたのです。

江戸時代は、国内において大規模な戦争がほとんどない平和な時代でした。しかし平和な時代が自然に訪れたのではありません。平和な時代を作ったのです。

平和な時代に人を殺す武器は困ります。
そして上位にある者を殺して、下位の者が成り上がるという考え方も困ります。

ですから「入鉄炮(いりでっぽう)に出女(でおんな)」、つまり無許可で江戸に大量の武器が流入することと、大名が江戸に置いた人質が逃亡することを防止することがとても重要であったということになります。

幕府が設置した関所は、全国に53か所もありました。江戸を囲むように、関東の交通の要所にまず設置されました。

代表的な関所として、東海道の箱根関(はこねのせき:現在の神奈川県)、中山道(なかせんどう)の碓氷関(うすいのせき:現在の群馬県)、甲州道中の小仏関(こぼとけのせき:現在の東京都)、日光・奥州道中の栗橋関(くりはしのせき:現在の埼玉県)がよく知られています。

様々な手段を使って大名を統制することで、少しずつ徳川の世が固まっていったわけです。大名の側も、徳川氏への臣従の姿勢を示し忠誠を尽くすことで、領地の支配を認めてもらうことができます。

・徳川家が全国の大名を支配するために置いた。

長文失礼しました。

とても詳しくありがとうございます!
助かりました😭

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