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ものすごく単純に言うと、中国の皇帝の家来になって、その証拠に一定時期に一定回数北京に土産もって挨拶に来れば、あんたを、その地域や国の王と認めてあげますねー、基本はあんた攻めないよ、っていう約束ごとです。
冊封体制に実際に入った国は朝鮮・琉球・今のミャンマー・今のベトナム・今のネパールなどがありますが、入っておくと、その地域の自分に敵対する勢力に対して有利になったり(助けを求めると中国から援軍をくれるとか)、自分が献上した以上の土産物をもらってそれを転売して稼ぐとか、暦くれたり、中国の官僚の服くれたり、まあいいこともあるんです。
これに入ってないと、ことあるごとに中国が攻めてくるので、ベトナムもミャンマーも中国相手に勝ってるのですが、冊封にはいりました。
冊封に入ると、例えば琉球ならば那覇港から福建省にわたり陸路で北京行き、朝鮮ならばソウルから歩いて北朝鮮越えて北京いくのですが、
当時の清朝にはこういう国を接待するための役所があり、北京のしかるべき位置に屋敷が与えられていました。(出島の島じゃないようなやつです)世界史で学ぶ総理各国事務衙門ってのとは違う役所です。
なお、この体制に足利義満の時にちょっとだけ入ったのが日本ですが、日本は基本はこれスルーするので、このことは知っていてもいいと
思います。
返信遅くなってしまいすみません😭
丁寧にほんとにありがとうございます!!
おかげでよく分かりました!
詳しく話が聞けてよかったです!!
じゃどうして、こんな体制が成立したの?って話ですけど、中国は周辺国と比較し圧倒的に物産も人口も多く、文化も栄えていたこと、
(清朝の乾隆帝時代の世界のGDPの半分が中国とインドだってくらい)それゆえ、軍事とか力があったから、って話です。
中国より強いイギリスとかフランスが登場すると、この冊封体制は力で壊されることになります。(アヘン戦争やアロー号事件ですね)