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謙譲語は自分がすることで尊敬語は相手がすることという認識で、この初めの参りは謙譲語で中納言が来たという事だから敬意の対象は作者から中納言では無いのでしょうか?

枕草子

回答

✨ ベストアンサー ✨

こんにちは。

「謙譲語は自分がすることで尊敬語は相手がすることという認識」は、一つの考えだとは思いますが、敬意の対象を見極める上ではあまり関係がありません。

敬意の対象については、
尊敬語は「動作をする人(主語にあたる人)」
謙譲語は「動作を受ける人(目的語にあたる人)」
であるということ。
つまり、尊敬語の場合は「◯◯が/◯◯は」にあたる人物、
謙譲語は「◯◯を/◯◯に」などにあたる人物が
敬意の対象であるということです。

「中納言参りたまひて」は、
「中納言が中宮定子(のところ)に参上なさって」
という意味ですので、
謙譲語「参る」の敬意の対象は、
「動作を受ける人(目的語にあたる人)」に注目して「定子」となりますし、
尊敬語「たまふ」の敬意の対象は、
「動作をする人(主語にあたる人)」に注目して「中納言」となります。

ゲスト

謙譲語尊敬語の捉え方をそもそも分かって居なかったということに気づきました。ありがとうございました☺️

nor

いえいえ!

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