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✨ ベストアンサー ✨

義和団事件が清の北部で起きたことにより、日本やロシアはそれを鎮圧するために、清に攻め込みます。義和団事件はすぐに収まったのにもかかわらず、ロシアはずっと満州にとどまります。ロシアは南下政策を行なっていて、満州と隣り合う韓国を自分のものにしたかったんですよね。そんな中、前々から三国干渉(ロシアが日本の領地を清に返すように命令する)などにより日本はロシアに対して対抗心を燃やしてました。イギリスと日英同盟を結んでロシアに対抗しようとしたこともあり、対抗心が高まり、日露戦争に踏み切ったと思われます。

りつ

なるほど、、、!!!!!
ご丁寧にありがとうございます🙏

とみょ🌙

いえいえ、、、😭語彙力がないので申し訳ないです!!私も今ちょうどこの範囲を勉強してるので(5日後テストですwww)お互い頑張りましょうねええ!!

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日清戦争後、欧米列強による中国の分断が始まります。
これに抵抗したのが義和団です。

清は、義和団による民衆蜂起を鎮圧しようとしますが、北京を占領されると、今度は義和団を支持し、列強に宣戦布告します。
(これが①義和団事件です)

しかし、列強による連合軍はすみやかに北京を奪回し、清を降伏させました。

この後も、④ロシアが満州に軍を残し、実質的に支配します。

満洲は、韓国に隣接しています。
ロシアのさらなる進出を恐れた日本は、韓国での利権を守るため、ロシアを敵視するようになります。

1902年、同じくロシアの進出を警戒するイギリスとの間に「②日英同盟」が結ばれました。

1904年、日本はロシアに宣戦布告して、日露戦争になりました。
(イギリスは南アフリカ戦争の直後だったため動けず、結局日本は、単独でロシアと戦うことになりました)

歌人・③与謝野晶子は、「君死にたまふことなかれ」を発表。戦争に反対しています。

1905年、アメリカの仲立ちで、講和条約である⑤ポーツマス条約が結ばれます。

戦争は日本優位だったため、⑥樺太(サハリン)を日本に譲る、など、日本に優位な内容になっています。
ただし、ロシアは賠償金の支払いは、一切拒否しました。

りつ

こんなに詳しく本当にありがとうございます🙏
助かります🙌

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