✨ ベストアンサー ✨
両方、中国が朝鮮半島に置いた出先機関です。
中国の朝鮮支配の拠点とされました。
簡単に言うと、朝鮮半島における中国の軍事拠点ですね。
楽浪郡を分割して、南部につくられたのが帯方郡です。
前漢の武帝が、朝鮮半島に置いた四つの郡のひとつが、「楽浪郡」です。
現在の平城付近に置かれました。
(他の3つの群は、高句麗に圧迫されたり廃止されたりして、最終的に楽浪郡だけが残りました)
3世紀初め、公孫氏が楽浪郡の南半分を支配して、「帯方郡」としましたが、238年、魏に滅ぼされました。
(帯方郡は、現在のソウルのあたりに設置されました)
楽浪郡・帯方郡を支配した魏は、帯方郡を東アジア支配の拠点としました。
邪馬台国の卑弥呼や、その後継者・台与は、この帯方郡を通じて、魏に朝貢しています。
(楽浪郡より南にある帯方郡は、倭国から見て、「一番近い中国」だったからです)
楽浪郡・帯方郡は、高句麗などに圧迫され、314年、共に滅びています。
わかりました!!
ありがとうございます!!😌
台与がしんに朝貢したあとの邪馬台国のことは今も謎なんですよね?
そうですね。
中国の内乱が激しくなり、日本に関する記述がなくなります。
その頃の日本には文字がないので、日本側に記録は残っていません。
次に日本の記述が出てきたのは、「倭の五王」。古墳時代の話です。
邪馬台国の記述はありません。
とてもわかりました!!!
ありがとうございます🙂⭐️
詳しくありがとうございます!
とても参考になりました!!
感謝です