歴史
中学生

なぜ幕末の京都に薩摩勢力、長州勢力、脱藩士がいたのですか?

回答

幕末は文字通り江戸幕府の勢力(統治する力)が弱まって来ていた時です。幕府の力が弱まって来ているから幕府を倒して天皇中心の政治をもう一度やろうって事になりました。そのため各地方の藩は倒幕派か幕府続けよう派に分れ尊皇攘夷運動を行いました。それを治めるために幕府は「京都守護職」(みんな大好き新撰組です!)を派遣しました。新撰組と言えば坂本龍馬暗殺事件(池田屋事件)が有名ですね。その坂本龍馬は敵対していた薩摩藩と長州藩の同盟(薩長同盟)の成立の仲立ちをしたと言われています。その坂本龍馬が京都で暗殺されたから薩摩藩や長州藩の勢力が京都に集まっていたのではないでしょうか?分からなかったら遠慮なく聞いてください!

ゲスト

各地方の藩は京都に来て何をしたかったのでしょうか?

偵察の意味合いが強いと思います。私達だって近所で火事があったら見に行きたくなりませんか?これと同じような感じです。もしかしたらちょっと懲らしめたかった可能性もありますね。(倒幕運動や尊皇攘夷運動の真っ最中でしたから幕府との間で緊張状態が続いていた可能性もあると思います!)

ゲスト

朝廷に訴えるという意味合いは無かったのでしょうか

朝廷を監視するために派遣されたのが京都守護職です。倒幕運動の中心の薩摩藩や長州藩の藩士が生身で(武器の一つや二つは持っていくと思いますが)朝廷に突入するのは考えにくいと思います。(偵察という事は近くまで近づくという事になります)

ゲスト

ありがとうございました

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