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①キリスト教伝来とヨーロッパの背景
そもそも、ヨーロッパ諸国ではキリスト教が主流であった。
西アジアの方では、イスラム教が勢力を広げていて、インドやインドネシアの方にまで勢力を拡大。
→その東南アジアの方でヨーロッパで人気があった香辛料などの商品はイスラム教徒の商人を経由して、運ばれました。

11世紀
トルコ系のイスラム王朝セルジューク朝が勢力を広げていく。
→東ローマ帝国を脅かしていた。
そこで東ローマ帝国のアレクシオス一世はローマ教皇に援軍を要請する。

ローマ教皇とローマ皇帝との間で権力争いをしていたことから、権力拡大のために「聖地エルサレムを奪還する」
と大義名分のもと、十字軍を編成した。
結局、何度か奪還はしたものの、維持をすることはできなかった。
=その結果、教皇・諸侯・騎士の力は失われていった。

このような経緯からイスラム王朝はさらに力をつけてきた。
16世紀に入ると、キリスト教カトリックはお金がないので、免罪符というお札を売って儲けようとした。
→このような動き対して、ドイツのルターなどが批判した。(宗教改革)
=その結果プロテスタントの確立。

→カトリックの信者が減る。→信者を増やす必要がある→アジアなどで信者を増やそうー⤴️
→その結果、ザビエルといった宣教師らが日本に布教し始めた。

そもそもはイスラム教の勢力拡大。
→香辛料などの独占。
大航海時代によって、入手しやすくなった。=アジアへの布教も可能に!
後は、宗教改革ですかね。

こんな感じですかね。私一応、新高一なので、若干世界史が弱いのですが、なんとか頑張りマス!!
一度区切りますー

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②日蘭貿易とキリスト教の宗派
先程もあったように、キリスト教のカトリックは布教するきが満々‼️
でも、プロテスタントは別にそうでもない。
当時の日本はカトリック系のキリスト教徒に悩まされていたから、その布教に関わらないと約束したから貿易ができた。
布教自体はそもそも、両派とも、擦るにはするけど、カトリックは布教にめっちゃこだわるが、プロテスタントはどちらかと貿易がしたかったので、そのために求められたキリスト教の布教をやめてという話ですかね。

各宗派の布教の姿勢というよりは、
幕府側から求められたの方が大きいかもね

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幕府の財源は年貢と土地、鉱山系統からほとんどです。
それって、基本安定しないんだよねー
お米とか不作の時とかあるし、鉱山もとれないときがあるよね。
それにプラスして、災害が多発した。
噴火、地震、冷害、水害、火災とかが影響してる。
後は、将軍の贅沢や小判の価値の変動によるもの、文治政治、正徳の治での失敗などが原因で、財政難やった。
細かいところは省きますので、調べてみてください。

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Bは享保の改革…質素倹約的な政策に対して、田沼時代は商業主義的な政策でした。
享保の改革→お米で経済なんとか…
田沼時代→長崎貿易でなんとか…
→こういう点では異なります。

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④ 市民革命と産業革命
絶対王政→絶対王政いやだー→市民革命へ→議会政治や自由主義な政治へ
(民主的な政治へ)

ざっくりすぎた(笑)
でも、そんなイメージです。
市民革命によって、王様とかの支配的政治が市民主体の立憲政治などへと変わっていった。
産業革命は
工場制手工業→工場制機械工業へ
イギリスで始まった。
→共通点というのはあまりないですね。時期はだいたい同じくらいです。

開国への影響。
産業革命がキーワードです。
産業革命によって、大量生産が可能になりました。
→その結果、インドなどの植民地に大量に売り付ける。
インドなどの植民地での国内産業が衰退。
なぜか?
→価格の安い綿織物とかを大量に輸入しているから。

この結果、インド大反乱が起こる。

鎮圧する。より一層支配が強くなる。

イギリス↔️中国で貿易をしていた。
銀をもとに貿易をしていたが、銀が少なくなる。
そこで、イギリスはインドから中国にアヘンを売り付けることで、銀の回収と、茶などを入手しました。

→一方中国では…
アヘンの中毒者が続出
これには、中国もお怒り😠
その結果、中国はアヘンの輸入を禁止に
→そこに対してイギリス激怒💢😠💢

アヘン戦争へ

アロー号事件

アロー戦争へ

他にも、産業革命によって、蒸気船などが発達した。
その結果、欧米列強はアジアへ進出し、植民地にしていく。

→これを受けて、日本はあの憧れ的な存在の中国が負けたという知らせなどから我が国が植民地になるのではないかという危機感を持ち始めた。
1853年 ペリー来航
→開国しなければー、どうなるかわかってるな?
みたいに、軍事力を背景に開国を迫った。その結果開国した。

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後、その影響により、尊王攘夷、倒幕、明治維新へと繋がっていきます。

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⑤クリミア戦争
What(何)クリミア半島を中心に行われた戦争。
Where(どこ)クリミア半島
When(いつ)1853年から1856年まで
Who(誰)
ナポレオン三世VSニコライ一世
国としては
フランス帝国 VS ロシア帝国
イギリス ブルガリア義勇兵
オスマン帝国
サルデーニャ王国

Why(なぜ)
原因…オスマン帝国が近隣諸国からの攻撃が激化したことによる弱体化にロシアが目をつけた。
→不凍港といった、温暖な土地がほしいロシアは南下政策をしていた。
その動きに対して、イギリスやフランスは危機に感じていた。
当時のこの2カ国はオスマン帝国にある聖地エルサレムでのキリスト教徒保護権を巡ってロシアと対立していた。
1853年 オスマン帝国がフランスに対して、キリスト教の保護を認める。
→これに、ロシアは噛みつき、反発する、自国に聖地管理権があると主張し、同盟を申し込みが拒否。
これをきっかけに戦争が始まる。
How(どのようにして)
戦闘の経過は省略します。
結果
フランス・イギリス側の勝利!
パリ条約が結ばれる。
パリ条約の内容
・ポスポラス海峡とダーダネルス海峡の通航制度やドナウ川の航行に関することなどを中心に話が進む
・黒海の非武装化

→って感じかな、この内容うまくまとめてください‼️

函館駅前

一応すべて答えました。
僭越ながら答えのですが、日本史、世界史共に、相関しているところがあるので、繋げていくことが大切ですね。
僕は日本史専門なんで、また何か是非聞いてください!!
もし、間違いとかあれば申し訳ないですが、再び自分の方で調べていただけるとうれしいです。
ノート見ていただきありがとうございました‼️

かりん

ありがとうございます!またまた答え合わせしたいので、教えていただきたいです!汚い字で答え書いてしまっているのあるのですが、気にしないでください!
上から順に答えを書いていただきたいです!

函館駅前

わかりました。僕もやることがあるので、解答するのが遅くなってしまいますが、そこの点ご留意願います。
パット見た感じ
①征夷大将軍 ②朝廷だけわかったので、後は後々解答しますー

かりん

お願いします!

かりん

いかがでしょうか?忙しい時に質問ばっかりごめんなさい。分かったら教えていただきたいです!

函館駅前

明が(海禁政策の強化)のため貿易衰退

(薩摩)藩は、琉球を介して~
すなわち~(冊封)関係…
ではないでしょうか?
たぶん、これ教科書を見て、答えるものなので教科書との記述と多少異なるかもしれないので、確認の方よろしくお願いいたします。

あと、1)の④の答えは多分神事だと思うのですが、わからないので、教科書等で調べておいてください。

1)のポイント
幕府と朝廷の関係
幕府誕生前…朝廷>そこら辺の武士
一応、朝廷の方が上であった。
幕府成立後…幕府>朝廷
禁中並公家諸法度で厳しい規制をする。

かりん

ありがとうございます!フランス革命~ナポレオン戦争の際にフランスと特に激しく対立した国とナポレオンにより併合された国はどこですか?も教えていただきたいです

函館駅前

2)外交ですね。
江戸初期と鎖国後、そして、開国後の三つにわけて考えていきましょう!
江戸初期…ヨーロッパ諸国
特に、ポルトガルとオランダ、スペインなど
朝鮮
朝鮮出兵→貿易が衰退→宗氏の活躍
→朝鮮通信使の派遣
琉球王国
薩摩藩→琉球に貿易を求める。
中国からも貿易を求める
→両属関係へ
簡単に言うと浮気関係だね。
蝦夷地
→アイヌ民族
松前藩が不平等に交易をした
後は中国ですね

かりん

フランス革命~ナポレオン戦争の際にフランスと特に激しく対立した国とナポレオンにより併合された国はどこですか?
対立した国・・・・・・
併合された国・・・・・・

函館駅前

対立した国の中心はイギリス
併合された国はオランダやローマなど

かりん

ありがとうございます!1回頭整理します!色々ありがとうございました。

かりん

①上米の制を幕府が恥辱と認識していたのは何故か
② 参勤交代の江戸滞在を半年にするというのはどのような危険性をはらむのか

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