✨ ベストアンサー ✨
あってますよ(^^)
今現在の古文の中では謙譲語の「給ふ」は会話文・手紙に限られています。
ただし、「見る・聞く・知る・思うなどの知覚的な意味」につながっている場合もあるので、すぐに尊敬語と判断しないように気を付けた方がいいです。この場合も謙譲語と判断して大丈夫です。
ごめんなさい、言い方が悪かったです…
他の文では謙譲語になりません。
例えば「思い給ふ」などといったものが会話文や手紙の中にあるので、それも謙譲語と判断して大丈夫です、という意味でした。見落としやすいので気を付けてくださいという意味で書いておきました。
混乱させてしまって申し訳ないですm(._.)m
いえいえ!!!私の理解力の問題です^^;
なるほど!!理解できました⠉̮⃝︎︎
本当にどうもありがとうございます🙇🏻♀️💦
助かりました🥰
お役に立てて良かったです(^^)
わかりやすい説明ありがとうございます🥺
すみません、一つ質問させてください頂きます🙇🏻♀️
「見る聞く知る思ふ」が給ふに繋がっている場合は地の文でも謙譲語になるということですか?