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反語とは、自分の判断や意志を強調するために、わざと逆の意味の問いかけをする表現のことです。
一般的には、
「~か、いや、~ない」のように訳します。
(肯定の疑問、いや、否定)のようになります。
打消の語がある場合には、
「~ないか、いや、~ある」のように訳します。
(否定の疑問、いや、肯定)のようになります。
今回は、「ぬ」という打消の語が存在していますね。
疑問で訳すと、
「月も春も昔のままではないのか」
となりますが、
これを反語にすると、
「月も春も昔のままではないのか、いや、昔のままだ」
(~ないのか(否定の疑問)、いや、~だ(肯定))
つまり、
「月も春も昔と変わらない」
となるわけです。
昔のまま=昔と変わらない
ですよね。
ちなみに余談ですが、
「月やあらぬ」は、「月や昔の月にあらぬ」の意味があります。ここでいう「昔」は、愛する人と共に春の月を眺めた時のことをいいます。自分だけはあの時と同じ自分なのに、1年後に見る月も春の光景もどこかあの時と違うように感じるのは、愛する人を失ってしまったからです。
画像と違う訳をするなら、
月はあの時の月ではないのだろうか。春はあの時の春ではないのだろうか。私だけが以前のままの自分で。
となりますね。(疑問で訳した場合ですが)
愛する人がいないから、月や春の景色が変わってしまったように感じているということなので、実際に変わっている訳ではないと考えられます。
間違っていたらすみません
説明が分かりにくくてごめんなさい!
疑問で訳すと、
春と月が変わって、自分は変わらないままです。
反語で訳すと、
春と月は変わらないままで、自分だけが変わったということになります。
左の画像にも、「疑問の係助詞とする説と、反語の係助詞とする説がある」と書かれているように、係助詞を疑問と捉えるか反語と捉えるかで、意味が大きく変わってしまうのです。
自然に訳すとするならば疑問ですが、これを反語として捉える学者さんもいるようです。
わかりました!すっきりしましたありがとうございます🙇♀️
回答ありがとうございます。反語の訳になる論理は理解出来たのですが、回答者さんも書いてくださっているように疑問で訳すと私1人だけが変わっていないように捉えられるのに反語で訳すと月も春も私も変わっていないという意味に捉えられてしまうのですか??すみません
変な質問で🙇♀️