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※「滝川事件」
1933年(昭和8年)に起こった、日本の学問の自由に関する重要な事件。
この事件では、京都帝国大学の法学部教授であった滝川幸辰教授が、政府の圧力により辞職を強制されたことが大きな焦点となりました。
滝川事件において、問題となったのは滝川教授が執筆した「刑法読本」という教科書ですが、具体的に「刑法読本」がなぜ問題視されたかというと、当時の日本政府の視点からは、次のような点が問題とされていました。
1. 思想的な内容:
滝川教授の刑法理論は、当時の日本で強く支配的だった国家主義や厳格な刑罰主義とは異なる、自由主義的・進歩的な見解を持っていました。
滝川教授は、刑法における「応報刑主義」(罪に対する報復としての刑罰)ではなく、犯罪の予防や社会防衛を重視する「刑法の社会的機能」を強調していました。
この考え方は、個人の自由や権利を重視するもので、当時の政府からは「左翼的」とみなされました。
2. 批判的なスタンス:
滝川教授は、特に当時の政府の政策や体制に対して批判的なスタンスを取ることが多く、その思想が刑法理論にも反映されていました。
これが政府の逆鱗に触れたと言えます。
特に、滝川教授が紹介した外国の刑法学説や思想家の中には、共産主義や社会主義に関連するものもありました。
3. 政府による弾圧:
当時の政権は、学問や思想の自由に対して非常に敏感であり、特に左翼思想や共産主義的な要素を排除しようとしていました。
そのため、滝川教授の刑法読本は「治安維持法」に反する可能性があるとして、出版差し止めや教授職からの解任が行われました。
以上3点の理由から、滝川教授の「刑法読本」は当時の政府にとって非常に問題視され、「滝川事件」として学問の自由を巡る大きな社会問題に発展しました。
この事件は、後に日本の学問の自由と大学の自治に関する重要な教訓を残したとされています。
なるほど、いつもわかりやすく丁寧に教えてくださりありがとうございます!