古文
高校生

古文解釈の方法という参考書の問題について質問です。
赤線について教えてください。
①主体が人または人に準ずるものではない時は丁寧語になる。ってどういう意味ですか?それって当たり前じゃないですか?いつ謙譲語になるんですか?
②丁寧語って会話文にしか用いられないんですか?そんなことないですよね...?
どちらも言っていることがよくわかりません...

e 0 さいろん 給ふ。 設問五 ただし、これは一応の原則であるから、語順によってはこの通りにならぬこともある。しかし、文中に丁寧語が存 在している時には、どこかに丁寧語の解釈を入れておくようにする。 次の傍線部を解釈せよ。またd~gの「候ふ」については謙譲語か丁寧語かも明示せよ。 a 返事も侍らざりければ、また重ねてつかはしける。 b 小坂殿の棟に、いつぞや、縄を引かれたりしかば、かの例思ひ出でられ侍りしに、 (注)「思ひ出でられ」の「られ」は自発として考えよ。 (若宮ハ参内ヲ) 思いそぐめれば、ことわりに悲しう見奉り侍る、 d斎院より御文の候はむには、いかでかいそぎあげ侍らざらむ。 女御更衣あまた候ひ給ひける中に、 からい目を見候ひて。誰にかはうれへ申し侍らむ。 みがうし すびつ (後撰集 詞書) (徒然草 10) (源氏物語 桐壺) (枕草子) (源氏物語 桐壺) g雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子参りて、炭櫃に火おこして、物語などして集り候ふに、「少 納言よ、香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、笑はせ (枕草子) (枕草子) 17
されましたところ」である。 「思ひ出でられ」の「られ」を自発と考えよということであるから、「思ひ出でられ」を自発動詞と見ることにな る。すると、動詞に直接「侍り」が付いている形式となる(「侍り」は補助動詞)。解釈は「あの例が自然と思い出 c「奉る」という動詞に「侍り」が下接している(補助動詞)。その「奉る」も動詞「見る」に付く補助動詞である。 解釈は「お見申しあげます」 となる。なお、この「奉る」は客体の「若宮」を敬う語である。 d「候はむには」の主語は「御文の」である。主体が人または人に準ずるものでない「候ふ」は丁寧語となる。こ こは本動詞「あり」の丁寧語と見る。解釈は「お手紙がございますような時には」である。 e「候ふ」の下に尊敬語「給ふ」が来ている以上、敬語を重ねる際の順から考えて、この「候ふ」は謙譲語(本動詞) と見なければならない。女御更衣がお仕え申しあげる以上、その客体は帝と見ることになる。解釈は「お仕え申し 「あげなさっていた」となる。 f動詞「見る」の下に付くから補助動詞の「候ふ」と見る。「候ふ」が補助動詞となるのは丁寧語だけである。下 の文には「うれへ申し侍らむ」と出ることも参考になる。解釈は「つらい目を見まして」である。 g動詞「集り」の下に付くから補助動詞と見たいところだが、ここが会話文でないことや、「仰せらる」「笑はせ給 「ふ」という尊敬語のある点を考えて、この場に貴人が存在していると見なければならないことから、「集り」を単 なる中止法と見、「候ふ」を謙譲語(本動詞)と考える。傍線部の解釈は「集り、伺候している時に」である。「御 格子参る」は囚に詳述する(1m)。 179 第五講 敬語と解釈

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