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徳川吉宗が第8代将軍になった時、幕府は財政難に苦しんでいました。
吉宗は武士に質素倹約を命じ、上げ米の制(大名が参勤交代で江戸にいる期間を1年から半年に短縮するかわりに、1万石につき100石の米を幕府におさめることを義務づけた)を定めました。
また、金や銀の流出を防ぐために貿易額を制限し、木綿や生糸、絹織物の輸入量が大幅に減少しました。
一方で、国内でこれらの製品の生産が始まり、輸入品と同じ製品をつくるようになりました。この他、裁きの基準となる公事方御定書を定め、庶民の意見を聞く目安箱を設置しました。こうした吉宗の政治改革によって幕府の財政難は一時的に立ち直りました。
松平定信は、吉宗の享保の改革を手本に、改革を行ないました。これを寛政の改革と言います。
倹約令を出し、旗本や御家人の借金を帳消しにする一方で、農民に倉を設けて米をたくわえさせ、商品作物の栽培を制限しました。
財政難は各藩にも及び、藩独自に紙幣を発行したり、家臣に与える米の量を減らしたりして対応しました。また、特産物の生産に力を入れ、専売制をとって財政を立て直した藩もありました。定信の改革は、政治批判を禁じたり、出版を厳しく規制したりしたため、民衆から反感をかいました。
元禄文化は江戸前期に上方(大阪や京都)で起こった文化です。
華やかで人間的な文化とされています。
浮世絵が芸術として確立されました。
例えば井原西鶴の浮世草子や松尾芭蕉の俳諧、尾形光琳の装飾画などがあります。
それに対して化政文化は江戸後期に江戸で起こった文化です。
元禄文化とは打って変わって派手な要素は少なく、庶民も参加できるような文化になりました。
例えば葛飾北斎の富獄三六景や歌川広重の東海道五十三次などです。
長くなってしまいすみませんテスト頑張って下さい!!💪🏻🔥 ̖́-
ほんとにわかりやすい説明、感謝です✨ありがとうございます!!