✨ ベストアンサー ✨
_「日本が新羅を従属国扱いをしようとして」→そんなことはしていないです。単に、無くなり掛けた百済を、もう一度、復興させようとしただけです。百済を拡大させ、新羅を従属国させる目論見は、史実としてありません。
_友好国である百済が滅亡して、朝鮮半島との関係が悪化したから。です。
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https://www.asuka-tobira.com/hakusonkou/hakusonkou.htm
_白村江の戦いを細かく書いてある歴史書を見れば、同盟国(百済)からの要請で参戦したと書いてあります。
_当時は、百済等の朝鮮半島の国々の方が文明・文化が進んでいる、と、いう日本国政府(朝廷)の考えなので、新羅を従属国として扱うとかの考えはないです。
出典元まで出していただき恐縮ですが、私が聞いているのは白村江の戦いでの立場の話ではなく、遣唐使の航路変更の理由です。
「新羅が従属国扱いをされそうになったか」が論点なのではなく、「何故遣唐使の航路が変更されたのか」が私の知りたいことです。
_朝鮮半島の友好国である百済が滅亡したからです。
_新羅とは、友好でも、敵対でも、ありません。
_恩を売りたくないので、寄港しなかったのが一つ。
_また、当時の港は軍港でもあるので、友好国でもない国を寄港させたくないことが一つ。
_また、唐は、新羅か高句麗かに朝鮮半島を統一させよう、と、言う思惑がありました。
_後に、新羅があまり唐の言う事を聞かない事が出て来たので、高句麗の後継国の渤海に朝鮮半島を統一させようと言う思惑がありました。
_日本としては、渤海が朝鮮半島を統一すると、日本を攻めて来るかもしれないので、それは、回避したい訳です。
_しかし、必要以上に新羅と仲良くすると、唐が、渤海の朝鮮半島の統一を日本が邪魔している、と、不機嫌になるかもしれないので、あまり仲良く出来ない、と、いうのがもう一つ。
_友好国・百済の滅亡と、唐の機嫌を損ねない為と、です。
山川の詳説日本史からです。
ぺんぎん様の仰る説はどちらの出典でしょうか?他社の教科書や参考書ではそう書かれているのですか?