この辺りの仕組みがまだ、不完全なようなので、おさらいしながらまとめますね。
そもそもは、班田収授の法で、人を戸籍で管理し、土地を与えて、税を確保するという方法でした。
しかし、偽籍や土地不足で口分田の支給が困難になると、墾田永年私財法が出されて、土地を自由に開墾していいよ!ってなります。→荘園の誕生
また、荒れた口分田などが沢山残っています。それを有効活用して、管理し始めたのが、国司などの国の役人です。→公領の誕生
この流れで、荘園公領制が誕生していきます。班田制の崩壊後、力を強めた国司は、公領や荘園から税を取り立てます。そこで、ご存知の通り荘園の保有者は寄進をして、税を免れます。
→ここで沢山寄進された藤原氏が力を持ち始めます。
公領は、国司が管理しており、徴税者も国司なので、脱税などはありません。つまり、公領の開発領主は国司です。 荘園の場合は、田堵と呼ばれています。
このような流れです。公領の管理者は寄進という手段はとらないのが当然ということになります。
分かりにくいところがあれば言ってください🙇♂️
そういうことになります👌
寄進して、不輸・不入の権を手に入れて、税を逃げるためです。
開発領主(大名田堵など)は寄進後、荘官となります。そこでは、有力農民である田堵や田堵の下っ端である下人などを働かせて、年貢・公事・夫役を課します。
そして、開発領主が荘園領主(領家・本家)に税を納めますが、この税は国司が課してくる税よりも安いです。
例)荘園領主に納める税→200
国司に納める税→300
こんな風に国が税をかけられなくなると、国の財政が悪化するので、後三条天皇は延久の荘園整理令で荘園の解体を目指します。同時に、寄進されて力を得ていた藤原氏も衰退して、院政の時代へと入っていきます。
公領より荘園の方が収める税が少ないならばどんどん荘園が多くなってしまいませんか?
それでも、公領が残っているのは何故ですか?
またまたすみません💦
後三条天皇の延久の荘園整理令では、不当な荘園を解体して、公領と荘園とが明確になります。
→つまり、無闇に荘園をバンバン増やせません。
すると、今まで不当に免税を受けてきた開発領主はどうするでしょうか?2パターンに分けられます。
①偉い人に寄進する
②国士と仲良くなる
②は、開発領主が国司の下に付き、荘園を公領とすることで、自身は在庁官人となって働くというものです。
ちなみに、同時に土地区分が郡・郷・保(公領)に分けられ、荘園と公領との境が明確化されます。
荘園公領制はこのように加速していってます🙏
本当に分かりやすい説明ありがとうございます!(´▽`)
まだモヤモヤしてる部分があり質問させていただきます💦答えていただけたら嬉しいです
寄進をする主な目的は結局税を逃れるためってことですか?でも、寄進しても同じように荘園領主へ税を収めるから変わらないような気がしてしまうのですが...
また寄進された荘園領主は税を中央に収める必要はないのですか??