Q1 幕末日本に関わる人物たちと彼らが何をしたか
幕末の日本には多くの重要人物が登場しました。アメリカのペリーは黒船で日本に来航し、開国を迫りました。徳川幕府の最後の将軍である徳川慶喜は政権を天皇に返す「大政奉還」を行いました。薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允は、薩長同盟を結んで倒幕運動を進め、明治新政府の中心となりました。坂本龍馬は薩長同盟の仲介役として活躍し、平和的な倒幕を助けました。また、勝海舟は江戸城の無血開城を成功させ、戦争を避ける大きな役割を果たしました。
Q2 江戸から明治に移るなかでどのような動きや出来事が起きたか
江戸時代の終わりにペリーの来航で日本は開国を迫られました。開国後、日本は不平等な条約を結び、国内では外国を追い出そうとする攘夷運動が盛んになりました。幕府は朝廷と協力して事態の安定を図る公武合体を進めましたが、薩摩藩と長州藩は倒幕を目指して薩長同盟を結びました。やがて徳川慶喜が大政奉還を行い、幕府は終わりを迎えます。明治政府は「王政復古の大号令」で新しい政府を作り、旧幕府軍との戊辰戦争に勝利して、日本は近代国家へと移行しました。
Q3 福澤諭吉の人生や考え方
福澤諭吉は幕末から明治時代に活躍した思想家・教育者です。西洋文明を学ぶ必要性を説き、「学問のすゝめ」を書きました。その中で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と述べ、すべての人が平等であり、自ら学んで自立することが大切だと主張しました。彼は実用的な学問(実学)を重視し、慶應義塾(のちの慶應義塾大学)を創設して多くの人材を育てました。福澤は政治権力に頼るよりも、国民一人ひとりが自立して国を支えることが重要だと考えていました。
Q4 使節団に行った人と目的
1871年、岩倉具視を団長とする岩倉使節団が欧米諸国に派遣されました。使節団の目的は、不平等条約を改正する交渉と、欧米の先進的な制度や文化、技術を学び、日本の近代化に活かすことでした。代表的なメンバーは岩倉具視のほか、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などで、約2年にわたり欧米各国を視察しました。
Q5 使節団と留守政府のあいだにおきた見解のちがい/両者の代表的な人物は?
岩倉使節団が外国を視察している間、日本国内の留守政府では朝鮮への対応について意見が対立しました。留守政府の西郷隆盛や板垣退助らは「征韓論」を主張し、朝鮮に武力で圧力をかけようとしました。一方、岩倉具視や大久保利通ら使節団側は、まず国内の改革と近代化を優先し、外交問題は後回しにするべきだと考えました。最終的に使節団の考えが採用され、西郷は政府を去ることになりました。
Q6 帝国主義が成立した背景
19世紀後半から世界は帝国主義の時代に入りました。産業革命によって工業が発達し、各国は原料や販売先を求めて海外に進出しました。科学技術の発展により、強い軍事力や交通手段を持つ国々は、他国を植民地にする力を得ました。さらに、「強い国が弱い国を支配するのは当然だ」という社会ダーウィニズムの考え方も広がりました。イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本などが帝国主義の中心となり、世界中で植民地支配が進みました。