日本史
高校生

室町時代の社会と経済活動について、本文をもとに、農業の発達にはじまり、それが何の発達につながっていったのか、その連鎖の過程が分かるように、160字程度でまとめなさい。(教科書P.106~107参照)

教えてほしいです。お願いします。

106 村や都市の住人たちは、どの ようにして生活を成り立たせて いたのか、考えてみよう。 水 石山寺蔵) 水車を設けて川から田に水を引いて いる。 WA M AMA GR TW SES MAMMAS A ③肥料やり (本)」,国立歴史民俗博物館に をまいている。 IS世紀末には、朝鮮から伝わっ 木綿の栽培が東海地方で始ま り、一般の衣服の生地として使 われ、のちには布やとし ても重宝された。 日本の鋼生産は15世紀初めに復 調して海外への主要な輸出品と り 15世紀末ごろには金鉱の 開発が始まった。 16世紀前半に は朝鮮からの技術移転により、 石見銀山などでの生産が本格 【化した [p.124]。 市では主から営業を許された 市座が設けられ、 その地の領主 に税をおさめる契約をした商人 のみに、営業が認められた。 3 室町時代の社会と経済活動 ②田植えの風景(背菜風俗 東京国立博物館蔵) 村ごとに、農民がそろって田植えを 行うようになった。 第2編 中世の日本と世界 室町時代は寒冷な気候の時期が多く、 15世紀にはし ばしば深刻な凶作や飢饉にみまわれた。 そのため、 なかで おくて 稲作では、各地の気候にあわせて早稲中稲 晩稲の品種が栽培され、竿 ばつや虫害に強い東南アジア原産の米(大唐米) も導入された。西日本で だいとうまい 農業・産業の 発達 は、米・麦・そば・野菜などの三毛作が登場し、庶民の食事を豊かにし かりそうもくばい しもごえじんぶんにょう さん いりあい た。 肥料として刈敷や草木灰が一般化し、 下肥(人糞尿)も使われ始めた。 しかし、人々が共同利用していた山野 河海などの入会地では、伐採や 用水をめぐる争いもめずらしくなく, 共通の利害を持つ人々は個々の社 園をこえて地域ごとに団結して協定を結ぶこともあった。 また, 手工業 の原料として、暴・・鮭・住胡麻・麻などの栽培もさかんになった。 漁業を専門とする集団が生まれ, 揚浜式の製塩業も普及した。 15世紀 前期には、 明や朝鮮に対する輸出品として銅の需要が増えたため、新し あげはま じゅよう い鉱山が数多く開発された。 にしじん はかな とうき 京の西陣や博多の絹織物をはじめ, 麻織物 綿織物 陶器・紙・酒・ 油などの生産が進み, 刀や農具をつくる鍛冶や鋳物業などの手工業もさ かんになった。 特に15世紀後期には、大きな窯の開発に成功した備前・ びんぜん から とこなめ 越前・瀬戸・常滑などで壺や腕などの陶器が大量に焼かれ、全国 信 に出荷された。 商業・流通の 発展 産業の発達につれて商業や流通もさかんになった。 ろくさいいち 市の開催日も増え、仁の乱後には月6回の六斎市 p.110 が一般化した。都市では常設の小売店 (見世物)が増加し、特定の商品だ けをあつかう専門の市場も生まれた。公家や寺社を所とする商工業者 の座も種類や数が増加し,一定地域内での仕入れ・販売の独占権や、領 内での関鈍免除の特権などを本所からあたえられた。 p101 産業や商品流通の発達とともに, 貨幣の流通もさかんになった。13世 せんのう だいせんのう 紀末から, 荘園では年貢の銭納化 (代銭納) が進み, 年貢にかわる銭をえ るために荘園の市場で作物が売却された。 逆に荘園領主は,納入された ばいきゃく たんせん むなべつせん きか によって、必要な商品を市場で購入できた。 また, 段銭棟別銭, 茜 土倉役など、銭納の税も一般化した。 ただし、宋銭や明銭などの渡来銭はつねに不足し、長期の使用による 破損もはげしかったため, 中国福建や日本各地で模鋳された銭が れつあく えりに 利用され始めた。 もっとも,それらの多くは劣悪な銭で, 撰銭 ( 銭の選 だいみょう。 6 別の対象となったので、 商取引が渋滞した。 そこで幕府や戦国大名は, くりかえし撰銭令を出して混乱をおさめようとしたが, 劇的な効果は望 めなかった。 また, そもそも銅銭は重くて運びにくく、 価値も一定しな かわし さいふ かもと やましろ いたくはんぱい。 かったので、為替や割符を用いた代銭納が好まれるようになった。 商品の輸送がさかんになるにつれて, 交通網も発達した。 近江国の大 津・坂本, 山城国の鳥羽・淀など交通の要地で, 馬借など運送業者が活 躍した。 物資の保管や委託販売を業務とする問(問丸) は, 馬借を支配し、 卸売り・運送や商人宿をいとなむ問屋に発展した。 幕府や公家・寺社は, 収入を増やすために多くの関所を設け、 商売物に税(関銭や津料)をかけ ることもあった。 といいま とい せきしょ ⑤機織り 喜多院蔵) 綿布は、 初 , めは朝鮮や中国から輸入されたが, 15世紀末に は、三河地方で綿花が栽培され、 綿織物業も各地 で発達するようになった。 うたあわせ ⑥ 大鋸引き(「三十二番職人歌合』 サン トリー美術館蔵) 大鋸は二人がかり で引く銀であり, 明から伝わったと される。 16世紀の室町通商店街のにぎわ い (「洛中洛外図屏風(上杉本)」 米沢市上杉 博物館蔵) 室町通りは南北に走る. 商家が建ちならぶ目抜き通り。 中央 に都で有名な烏帽子屋がある。 近郷 からの出稼ぎ農民が、 商家の屋根を ふきかえている。 西日本の10余か国に対明用の油 の専 MASTES NUE 油座は, 属し, 石清水八幡宮を本所とし た。 海路や陸路を通じて運ばれ た原料(荏胡麻) から灯油をつく り, 京都の公家や寺社, 各地の 問屋などに販売した。 流通貨幣(一文銭)の種類を限定 したり、 銭貨間の交換比率を定 めたりした。 ⑥ その結果, 銭の現物そのものは 現地に滞留し、しだいに各地で 流通の基準となる特定の銭が選 | 好されていった。 たとえば, 関 丸いらくつうほう 東では永楽通宝、九州では洪武 ■通宝が高い評価をえた。 ① FOLL 3 8t 第3章 ⑦ 明銭と造 明銭の① 洪武通 宝や②永楽通宝などが輸入され, そ れまでの宋銭などとともに1枚1文 として流通した。 日本 中国を問わ ず 民間の模造銭がさかんにつくら れ、日本では, 枝つきの③鋳造銭が 確認されている。 中世社会の展開 107
$10 課題 村落や都市の住人たちは、どの ようにして生活を成り立たせて いたのか, 考えてみよう。 いしやまでらえんぎ ① 水車(「石山寺縁起絵巻』, 石山寺蔵) 水車を設けて川から田に水を引いて いる。 らくちゅうらくがいずびょうぶ しもごえ ③ 肥料やり (「洛中洛外図屏風歴博甲 本)』,国立歴史民俗博物館蔵) 田に下肥 をまいている。 DI SI ① 15世紀末には、朝鮮から伝わっ もめん た木綿の栽培が東海地方で始ま 106 きじ り, 一般の衣服の生地として使 はん ぶ ひなわ われ、のちには帆布や火縄とし ちょうほう ても重宝された。 ② | 日本の銅生産は15世紀初めに復 調して海外への主要な輸出品と なり, 15世紀末ごろには金鉱の 開発が始まった。 16世紀前半に は朝鮮からの技術移転により、 いわみ 石見銀山などで銀の生産が本格 化した [p.124]。 りょうしゅ ③市では領主から営業を許された 市座が設けられ,その地の領主 に税をおさめる契約をした商人 のみに, 営業が認められた。 3 室町時代の社会と経済活動 ② 田植えの風景(「月次風俗図屏風」,東京国立博物館蔵) 村ごとに,農民がそろって田植えを 行うようになった。 農業・産業の 発達 69 第2編 中世の日本と世界 などを本からあた とともに、貨幣の の化(代 室町時代は寒冷な気候の時期が多く、15世紀にはし ばしば深刻な凶作や飢饉にみまわれた。そのため、 わせ なかて おくて 稲作では,各地の気候にあわせて早稲・中稲・晩稲の品種が栽培され、竿 だいとうまい。 ばつや虫害に強い東南アジア原産の米(大唐米) も導入された。 西日本で ・ 商業・流通の 発展 しかったため、中国福 もっとも、それらの多く なったので、商取引が渋滞し を出して混乱をおさめよ さんもうさく しょみん は,米・麦・そば 野菜などの三毛作が登場し、 庶民の食事を豊かにし かりしき そうもくばい しもごえじんぶんにょう した。 肥料として刈敷や草木灰が一般化し、 下肥(人糞尿)も使われ始めた。また、そもそも銅銭は重くて 書脈を用いた代銭納カ だかんになるにつれて **** しかし,人々が共同利用していた山野・河海などの入会地では、伐採や 用水をめぐる争いもめずらしくなく、共通の利害を持つ人々は個々の荘 菌をこえて地域ごとに団結して協定を結ぶこともあった。また, 手工業 の原料として、 ・楷・熊・荏胡麻・麻などの栽培もさかんになった。 漁業を専門とする集団が生まれ, 揚浜式の製塩業も普及した。 15世紀 普及した。15世紀演をいとなむ問屋に努 国の鳥など交通の要 精託販売を業務とす 0 あげはま せいえん みん 前期には,明や朝鮮に対する輸出品として銅の需要が増えたため、新しさに多くの関所を設け、 い鉱山が数多く開発された。 京の西陣や博多の絹織物をはじめ、麻織物・綿織物・陶器・紙・酒・ びぜん 油などの生産が進み,刀や農具をつくる鍛治や鋳物業などの手工業もさ かんになった。 特に15世紀後期には、大きな窯の開発に成功した備前 信楽・越前・瀬戸・常滑などで壺や腕などの陶器が大量に焼かれ、全国 に出荷された。 食のも一般化した。 などの農来はつた。 産業の発達につれて商業や流通もさかんになった。 いち おうにん ろくさいいち 市の開催日も増え、応仁の乱後には月6回の六斎市 p.110 ③ こうり みせだな が一般化した。都市では常設の小売店 (見世棚) が増加し, 特定の商品だ けをあつかう専門の市場も生まれた。 公家や寺社を所とする商工業者
活動 二に, 農民がそろって田植え とうき びぜん 物・陶器・紙・酒 業などの手工業もさ 発に成功した備前 大量に焼かれ、全国 さかんになった。 ろくさい 月6回の六斎市 し,特定の商品だ 所とする商工業者 どくせん の座も種類や数が増加し,一定地域内での仕入れ・販売の独占権や,領 せきせんめんじょ 内での関銭免除の特権などを本所からあたえられた。 ➡p.101 かへい 産業や商品流通の発達とともに, 貨幣の流通もさかんになった。13世 はそん ふっけん もちゅう 摩耗・破損もはげしかったため, 中国福建や日本各地で模鋳された銭が れつあく えりぜに じゅうたい だいみょう しょみん 朝が多く, 15世紀には みまわれた。 そのため 音の品種が栽培され、 10 利用され始めた。 もっとも, それらの多くは劣悪な銭で, 撰銭 (銭の選 導入された。西日本で 別)の対象となったので,商取引が渋滞した。 そこで幕府や戦国大名は, くりかえし撰銭令を出して混乱をおさめようとしたが, 劇的な効果は望 糞尿)も使われ始め めなかった。 また, そもそも銅銭は重くて運びにくく、 価値も一定しな 庶民の食事を豊かにし んぷんにょう いりあいち かわし かったので、為替や割符を用いた代銭納が好まれるようになった。 (かわせ) の入会地では、伐採 を持つ人々は個々のこ 15 あった。 また, 手工業 音もさかんになった。 普及した。15世紀 が増えたため, 新 ねん せんのう だいせんのう 紀末から、荘園では年貢の銭納化 (代銭納) が進み、年貢にかわる銭をえ ばいきゃく るために荘園の市場で作物が売却された。逆に荘園領主は,納入された 銭によって,必要な商品を市場で購入できた。 また, 段銭・棟別銭,酒 たんせん むなべつせん さか ど そう 屋・土倉役など, 銭納の税も一般化した。 ** そうせん みんせん とらいせん ただし、宋銭や明銭などの渡来銭はつねに不足し、 長期の使用による おお 商品の輸送がさかんになるにつれて,交通網も発達した。近江国の大 つ さかもと やましろ とば よど ぱしゃく かつ 津・坂本,山城国の鳥羽・淀など交通の要地で, 馬借など運送業者が活 ➡p.97 やく いたくはんばい といといまる 躍した。 物資の保管や委託販売を業務とする問(問丸) は, 馬借を支配し, 卸売り・運送や商人宿をいとなむ問屋に発展した。幕府や公家・寺社は, せきしょ つりょう 商売物に税(関銭や津料) をかけ 収入を増やすために多くの関所を設け, 20 ることもあった。 ILLA はた めん ぶ しょくにんづくしえびょうぶ ⑤ 機織り(「職人尽絵屏風』,喜多院蔵) 綿布は,初 めは朝鮮や中国から輸入されたが, 15世紀末に は,三河地方で綿花が栽培され, 綿織物業も各地 みかわ で発達するようになった。 おが うたあわせ 6 ⑥ 大鋸引き (『三十二番職人歌合』,サン トリー美術館蔵) 大鋸は二人がかり のこぎり で引く鋸であり,明から伝わったと される。 417 4 16世紀の室町通商店街のにぎわ い(『洛中洛外図屏風 (上杉本)」, 米沢市上杉 博物館蔵) 室町通りは南北に走る 商家が建ちならぶ目抜き通り 中央 えばし に都で有名な烏帽子屋がある。 近郷 かせ からの出稼ぎ農民が、 商家の屋根を ふきかえている。 とうみょう ④ 西日本の10余か国に灯明用の油 おおやまざき の専売権を持っていた大山崎の りゅうはちまんぐう いわしみず 油座は,大山崎離宮八幡宮に所 属し, 石清水八幡宮を本所とし た。 海路や陸路を通じて運ばれ た原料(荏胡麻) から灯油をつく り, 京都の公家や寺社, 各地の 問屋などに販売した。 ⑤ 流通貨幣(一文銭)の種類を限定 したり,銭貨間の交換比率を定 めたりした。 ⑥ その結果, 銭の現物そのものは たいりゅう 現地に滞留し, しだいに各地で 流通の基準となる特定の銭が選 好されていった。 たとえば, 関 えいらくつうほう 東では永楽通宝,九州では洪武 通宝が高い評価をえた。 1 (3) 81 ⑦7 明銭と模造銭 明銭の ① 洪武通 宝や②永楽通宝などが輸入され, そ れまでの宋銭などとともに1枚1文 として流通した。 日本 中国を問わ ず,民間の模造銭がさかんにつくら れ、日本では, 枝つきの③鋳造銭が 確認されている。 第3章 中世社会の展開 107

回答

農業が発達→商品作物等も作られるようになる→それらは売りに出される→市場が発達→貨幣社会の発達→遠距離にも金を送ったりできる為替の発達
こんな所でしょうか

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