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旧里帰農令と人返しの例の違いをわかりやすく説明お願いします🥹🥹🥹

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旧里帰農令
→1790年に松平定信の寛政の改革で発布されます。江戸(都市)に流入してきた地方(田舎)の農民を地方に帰るように奨励したものです。
幕府が金銭面とかで支援するから、地方で農業に励んでねって感じです。

人返しの法
→1843年に水野忠邦の天保の改革で発布されます。
江戸に流入した農民を強制的に農村へ帰らせます。
帰らなかったら死刑ってくらい強制的です。

次に歴史的背景をざっくり見ていきますね。

1780年代に天明の飢饉が起こります。飢饉とは農作物が採れなくて、飢えに苦しむことです。つまり、冷害により農村で農作物が採れなくなってしまったんです。すると、農民らは農地を離れて都市で仕事を探すようになります。
そこで、その農村の復興も兼ねて旧里帰農令が1790年に出されます。復興も兼ねていたので、奨励で優しい感じだったわけです。

しかし、奨励だったこともあり、農村にあまり帰らないし、農村から都市に人が流れ込む風潮も消えませんでした。また、色んな人が都市に来るので、都市の治安も悪化してきました。そこで、強行策として人返しの法を発布します。「はよ帰れ!💢」って感じです。

流れはこんな感じです🙏
分からないところがあれば言ってください🙏

いちご

丁寧にありがとうございます!

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